縄文のDNAを呼び醒ます【1】~吉川竜実先生ご講演録~

未来創造コミュニティ

~伊勢神宮 吉川 竜実(よしかわ たつみ)先生とアイリッシュハープ奏者 みつゆきさん コラボイベントより~

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「私たちの感性(アイデンティティ)には、無意識のうちに縄文意識が息づいている」とおっしゃる伊勢神宮 吉川竜実先生。
神道の視点から新たな時代を創造していくために、縄文意識のエッセンスを伝えておられます。
縄文意識でいきいきと輝いて生きる上で大切な神道的生き方、さらには神さまに好かれる方法など、嬉しいお話が盛りだくさん♪
自然、そして地球と共存共生する豊かな縄文文化を心で感じ、素晴らしい未来を創造してまいりましょう☆


伊勢神宮 吉川 竜実(よしかわ たつみ)先生 ~profile~
神宮参事・博士(文学)。皇學館大学大学院博士前期課程修了後、平成元年(1989年)、伊勢神宮に奉職。平成2年(1990年)、即位礼および大嘗祭(だいしょうさい)後の天皇(現上皇)陛下神宮御親謁(じんぐうごしんえつ)の儀、平成5年(1993年)第61回式年遷宮、平成25年(2013年)第62回式年遷宮、平成31年(2019年)、4月御退位につき天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、令和元年(2019年)11月即位礼及び大嘗祭後の今上陛下神宮御親謁の儀に奉仕。平成11年(1999年)第1回・平成28年(2016年)第3回神宮大宮司学術奨励賞、平成29年(2017年)神道文化賞受賞。


日本人の暮らしの中から生まれた信仰・神道

皆さま、こんにちは。伊勢神宮の吉川竜実です。
今日のテーマは「縄文のDNAを呼び醒ます」。
私たちに脈々と流れる縄文のDNAを呼び醒ますために、神道の真髄を交えながら話を進めてまいりたいと思います。

神・人・自然を分離しない神道

「海には海の、山には山の、森には森の神さまが存在する」。

神道では、木や石、火や水、植物や動物など、ありとあらゆるすべての存在には神(霊魂)のエネルギーが宿っていると考えられ、その数の多さから「八百万(やおよろず)の神々」といわれています。

人もまた自然の一部ですから、皆さんおひとりおひとりにも神が宿っています。
神と人と自然を分離しない、人は自然にくくられた一部である――これが、神道の考え方です。

一方で、西洋における宗教には絶対に動かない神の存在があり、その下に人がいる。
神は絶対的な存在なのですね。
日本の神観は西洋とは違い、絶対神がひとりいらっしゃるのではなく、万物に神さまが存在します。

江戸中後期に生きた国学者 本居宣長(もとおりのりなが・1730~1801年)の名著『古事記伝』の中で、日本の神は次のように定義されています。

「さて凡て迦微(カミ)とは、古御典等(イニシヘノミフミドモ)に見えたる天地の諸(モロモロ)の神たちを始めて、其(ソ)を祀(マツ)れる社に坐ス御霊(ミタマ)をも申し、又人はさらにも云わず、鳥(トリ)獣(ケモノ)木草のたぐひ海山など、其餘何(ソノホカナニ)にまれ、尋常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳(コト)ありて、可畏(カシコ)き物を迦微(カミ)とは云なり。」

要するに、神とは、『古事記』や『日本書紀』などの神話に登場する天地(アメツチ)の神々をはじめ神社に祀られる神霊ばかりでなく、また人はいうまでもなく、鳥や獣、木や草、海や山等の何であっても世間一般的でない卓越した力=徳(エネルギー)が内在されていることを認識し、恐れ畏(か)しこむべき存在をいうのです。

少しわかりづらいかもしれませんが、「神とはエネルギー体・波動であり、万物に内在している」と考えていただければいいと思います。

日本の神観

西洋の考え方だと神・人・自然は分離していますから、外国の方が「人は自然の一部」だということを理解するのは非常に難しいんですよ。

一方、日本人は「人は自然の一部」だという考え方がすでに暮らしの中に備わっています。
意識せずとも、自然の中の万物に神が宿るというアニミズム的感性をすでに持っているんですね。
それを象徴するシーンがあります。

甲子園球場で開催される高校野球全国大会では、試合後に球児たちがグラウンドに一礼してから退場する姿がテレビで映されます。
高校球児にとって聖なる場所である甲子園球場に「ありがとうございます」という感謝を捧げているわけですが、それを見た外国の方は、相手もいないのになぜおじぎをするのだろう?と不思議に思うようです。

また、家を訪ねるとき、ご主人がいらっしゃらなくても「失礼します」とか「ありがとうございました、お邪魔しました」と、必ずといっていいほど私たちはお声掛けをよくしますよね。

なぜこのような挨拶や振る舞いをするかというと、それは土地や空間にも必ず神がおられ、そこに「足を踏み入れてもいいですか、退出させていただきますよ」と無意識のうちに許認可を取っているのではないかと思われます。

そして、このわれわれ日本人のなにげない日常の慣習にこそ、後ほどお伝えする縄文文化の存在があるのです。

神々の役割

また続けて宣長は『古事記伝』で、こう主張しています。

「日本の神には貴(とうと)い神や賤(いや)しい神、霊力の強い神や弱い神、善い神や悪い神……というふうに心も行いもさまざまな神がおられて、ただその神の意に随って存在されているだけで、とうてい人の小さな知恵ではとうてい測り知れないため、人はただその神々を尊び敬意を表すべきのみである」。

『古事記』や『日本書紀』に見られる神話によると、神々の世界では優劣はなくすべて対等の関係で、各々が持つ個性(オリジナリティ・長所や特質)を最大限に発揮しその役割を全うし補完し合っています。

何か問題が生じると、神々は問題を解決へと導くための話し合い(協議)を必ず行い、それぞれの主義や主張、生き方を尊重しながらチームワークを組んで助け合いさまざまな問題に対処し解決していく神々の姿が活き活きと語られています。

神さまに喜ばれる神道的な生き方

それでは、神さまに好かれる方法をお伝えしたいと思います。
皆さま、神さまに好かれたいですよね(笑)。
神さまが好まれることは何だと思いますか?

日本の神々は「面白い・楽しい」という感覚や、「笑う」という行為が大好きなんです。
そしてそれは『古事記』や『日本書記』の「天の岩戸(アメノイワト)開き」神話から読み取れます。

つまり、真っ暗闇となった天上界で八百万の神々が手を繋いで唄い舞ったとき、岩戸に籠もられていた天照大御神(アマテラスオオミカミ)さまが出てこられて天上界と地上界に大御光が照り渡りました。

すると、その光に照らされたすべての神々の“面(おも)”がその大御光に照らされて真っ白に輝いて見えたのです。

面(おも)とは顔のことで、面(おも)が白いから“面白い(おもしろい)”。
これが「面白い」の語源となっています。

また、「楽しい」の語源のひとつとして、この「天の岩戸開き」神話は取り上げられています。
すなわち天照大御神さまが岩戸から出てこられたとき八百万の神々はワァーッと歓喜し、“た(手)”を“のして(伸して)”歌い舞われました。

この各々の手を伸ばし繋ぎ合って、みんなで歌い舞い踊られたことが「たのし=楽しい」の語源の一説となっているのです。

楽しく笑い、ほがらかに生きる

この「天の岩戸開き」のお話からもわかりますように、神さまに好かれる方法、喜ばれる方法とはズバリ「普通に楽しく生きる」こと!です。

周囲の人と調和しながら自分の暮らしを営み、毎日をほがらかに過ごす――とても自由でシンプルですよね。

神さまは、面白くて楽しくて笑うのが大好きですから、神社でお詣りするときに暗い顔をして下を向いていたら誰も振り向いてくれません。
逆に、面白くて楽しい人だったら、神さまは振り向いてくれます(笑)。

波動の法則で、投げた物は必ず帰ってきます。人生で困ったことが起きたとき、迷わず「助けてください」と助けを求めると、それに応えて必ず助けてくれます。

友だちがほしければ「友だちになってください」といえばいいのです。
自分が発しなければ返ってはこないのです。

エネルギーを投げかけて発した分だけ、鏡のように返ってきますからね。

“ある”に目を向ける

無いものを得ようと必死になるのではなく、

神さまがすでに与えてくださっているたくさんのものに目を向け、今日一日をしっかりと生きる。

普段、目が見えることを意識していませんが、いろんなものを見て確かめることができます。
また、指が10本あることもすごいことですよね。

当たり前にあるしあわせを、数え切れないくらい数えられるようになるといいですね。

そして、毎日ほがらかな気持ちでやるべきことをやり続けていると、

「いつの間にか社会に貢献できて、長年の夢が叶っていた。
たくさんの人に喜んでもらい、実現したい目標を達成できた」。

そんな現実がやってきます。

自分を信じ切る

はじめは自信がないかもしれませんが、できるだけ自分を信じ切って物事に取り組んでください。
その意識がすべての行いのスイッチをONにします。
うまくいくかどうかは、自分を信じ切れるかどうかにかかっています。

限界をつくらずに、自分を信じ切って取り組む。

一生懸命生きるのではなく「生き切る」のです。

日本人には「これくらいでやめて、あの人も自分もお互いに遠慮し合ったらちょうど良いバランスとなって調和が取れていいな」という譲り合いの精神や遠慮の文化が強く培われておりとても素晴らしいのですが、それでも、ぶつかってもいいから自分が信じることはやはりやり切っていただきたいと思っています。

そうして、あとは天や神々の差配や意志に委ねる――おそらくそれを体現していたのが、我々の祖先である縄文の人たちではなかったかと思われるのです。

調和するために敢えて自分を押し殺すのではなく、本当の自分を出し切ってはじめて縄文の暮らしの中にあったであろう「真の調和」が生まれるのですから……。

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