南米アマゾンの奥地で“森の女神”と呼ばれ、インディオの方々から大切にされてきた聖木・コパイバ。その木から採れる生命力あふれる樹液『コパイバマリマリ』は、1万年以上も前からアマゾンの人々の不調を和らげ、癒し続けてきました。
現地インディオに伝わる方法で、木を切り倒すことなくいのちを守りながら採取される『コパイバマリマリ』。そして、そんな貴重な樹液を、フェアトレードを通じて日本に直輸入しておられるのが、株式会社 サポートジャングルクラブの吉野 朝(よしのあさひ)さんです。
5歳のときに一家でブラジル・アマゾンに移住され、5年間にわたり森でインディオたちと暮らしてこられた吉野さんのマリマリストーリー、2回にわたりお届けいたします。
株式会社サポートジャングルクラブ 代表取締役社長 吉野 朝(よしの あさひ)さん ~profile~
熊本県天草市生まれ。1992年にリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(地球サミット)に参加した父が、アマゾン熱帯雨林先住民インディオと意気投合し、その伝統保護と継承支援、森林保護のために一家でブラジルへ移住。幼少期の5年間をブラジル・アマゾナス州パウイニ自治区で現地インディオと共に暮らす。2016年に同社代表取締役社長に就任。インディオ伝統の植物を化粧品・医薬部外品・食品として加工、販売する傍ら、現地における熱帯雨林との共生と経済活動への参加、教育環境の整備、伝統文化の継承と交流事業に尽力されています。
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インディオと意気投合した父に連れられ、アマゾンへ移住
-幼少の頃にご一家でアマゾンに移住されたということですが、きっかけは何だったのでしょうか?
吉野 朝さん:当時、NPOの活動をしていた父が、ブラジルのリオデジャネイロで開催されていた地球サミットに参加したのですが、そこで、熱帯雨林の大量伐採を食い止めるために参加していたインディオの方々と意気投合しまして。
父が、現地の方々の教育に携わるために、それまで住んでいた熊本県天草の農園から地球の裏側、ブラジル・アマゾンへの渡航を決めたのです。
1~2ヶ月滞在するくらいでは支援にならない、5年10年と長期間現地で暮らしたいという父の思いもあり、家族全員が連れ去られた感じですね、私は当時、まだ5歳でした(笑)。
アマゾン熱帯雨林の法定森林面積は522万平方キロメートルもあり、サバンナを含めると日本国土が20個以上すっぽり入るほど広大です。
その中でも、日本から飛行機・車・カヌーで10日以上かけてようやくたどり着くほど奥地の集落に家を手配してもらい、電気・水道・ガスのない生活が始まりました。
一家でアマゾンへ移住された、吉野さんご家族
私たちが住んでいたのは、南米大陸を横断するように流れるアマゾン川の支流のひとつ・ブルース川の上流域にある集落でした。森の中は空気が澄んでいるので、星空がすごくきれいなんですよ。夜は毎日その星空を眺めながら、まだ幼い私は裸ん坊で暮らしていました(笑)。
アマゾンの森から臨む満点の星空☆彡
アマゾンの衣食住
-アマゾンでの生活にとても興味があります。どんな暮らし方なのでしょうか。
吉野 朝さん:アマゾンにはいろんな部族があり、その数だけ伝統があります。一軒家を建てる部族や核家族で茅葺き屋根を環状に建てる部族などさまざまです。私は高床式の建物が並ぶ集落に住んでいました。
集落の中心には井戸があり、皆でその水を使用します。水を汲めるのは9歳くらいまでの、心に穢れのない子どもだけ。毎日水を汲みに行き、担いで家に持って帰るのですが、その途中で村の方の家に寄って卵をいただいて帰ったり。家では、母がキャッサバをすり潰したものでクレープを作って待っていて、持ち帰った卵や水と一緒に朝ご飯を食べるのが日課でした。
暮らしの中では、身のまわりのものでおもちゃをつくって遊ぶなど、自然からいただくものを大切にすることを学びながら育ちました。
-子どもの頃に憧れた、無人島で生活するアニメの世界を思い出しました。実際にそこで暮らすとなると大変なのでしょうね。
衣~自分たちの伝統を表す~
吉野 朝さん:インディオというと派手な格好で、どこか野蛮なイメージがあるかもしれませんが、決してそうではないんですよ。
たとえば、創造主を真似て羽根飾りをまとうガラニイ族、ジャガーの爪でつくったネックレスをすることで力を誇示するデザナ族、顔に独特な曲線模様を描いて、語らずともメッセージを伝えるカデュヴォエ族など。
いろんな部族が暮らすアマゾンにはその数だけ伝統があり、身に着けて飾ることには深い意味があります。
皆、伝統を代表する意味で、さまざまな飾りを身にまとっています。
食~エネルギーに溢れ、力が湧いてくる森の食べ物~
森や川で獲物を仕留め、植物を採取して食べるものをいただきます。森の中では自然のものを自然のままいただきます。そんな、素材を味わう食生活をしていると味覚が養われますし、食べたらダメなものは瞬時でわかるようになりました。
お肉をいただく機会も多いのですが、野生動物の肉にはコクはあっても臭みは一切なく、塩をかけて食べるだけで体が喜ぶんです。お肉がからだのエネルギーとして機能していることが細胞レベルでわかり、力が湧いてきました。
また、現地にはアサイーやプロポリスなどの健康食品もあります。アサイーは房から外れると24時間で腐ってしまいますので、その時間以内に処理した、新鮮でエネルギーの高いものをいただきます。いま、日本でもアサイーボウルが流行っていますが、現地で食べられるような新鮮なものはなかなか手に入らないでしょうね。
プロポリスは現地では薬のように使われています。抗菌性が強いので、生ものの保存料としても使われます。
住~自然の中で平和に暮らすコツ~
先ほどもお話しましたが、アマゾンにはさまざまな種族のインディオが暮らし、その部族の数だけ伝統があります。
デザナ族はしっかりとした一軒家を建てますし、ヤマノミ族のシャポノは茅葺き屋根を核家族の分だけ環状に建てます。一カ所に定住せず、周りの資源の再生がむずかしくなると土地を休ませるために移住します。
争いは、奉仕活動で!?
私が興味深いと感じましたのはボロロ族の暮らし方で、アマゾンでは珍しく2つの部族が一緒に暮らしているんですね。
通常だと、部族間で競争心があり争いに発展したりするのですが、彼らは仲良く暮らしています。
その秘訣がおもしろくて、「争い事を解決する手段は奉仕活動」なんです。
たとえば、争い事があると相手の家に行って家事をして、相手が喜ぶと自分の勝ち。
負けた方は「おもしろくない、やりかえしてやる」といって、相手の家で料理やおまつりをしてやりかえす(笑)。
奉仕活動によって争うなんて、高度な文化ですよね。
-なんと斬新!争った後はみんなが仲良くなりますね(笑)。
吉野 朝さん:平和な暮らし方のコツですね。また、ボロロ族は女人系で、全財産は長女に引き継がれます。
男の子は一定の年齢になると、集落の真ん中にある独身男性の家で暮らします。
そこでは皆が寮生活をしていて、いかに女性に奉仕するかという勉強をしているんです。
最終的には嫁ぐことがゴールで、嫁ぐために役に立つ男だとアピールしているのだそうです。
いのちの価値はすべて同じ
-アマゾンの暮らし方は、とても興味深いです!10歳の頃まで、そんなアマゾンの自然の中で暮らしてきた吉野さんだからこそ感じられることがあるのでしょうね。
吉野 朝さん: アマゾンで暮らして感じることは、「いのちの価値はすべて同じ」ということですね。
動物も虫も人間も植物も、皆同じ。アマゾンでは、いのちをいただきながら生きている感覚がありました。
また、森の一員として暮らす中で、ケガや病気などいのちの危険も多々ありました。それがいまの仕事とも繋がっています。
-アマゾンではすべてのいのちが生きているのですね。そして、危険な目に遭いながらも暮らしの中で出合われたのが、吉野さんのいのちを救ってくれたコパイバマリマリの樹液なのですね。
アマゾンの森
代々受け継がれる自然の叡智『コパイバマリマリ』
いのちの危険と隣り合わせの生活
吉野 朝さん:アマゾンでは、川にはピラニア、森にはジャガーなどの肉食獣やマラリア蚊など、危険な生物とともに生きていますので、常にいのちの危険と隣り合わせの生活です。
中でも、現地での死因の多くは虫によるもの。毎年数十種類の新種の虫が発見され、一説には500万種類の昆虫が存在するのではないか、といわれています。
私たち一家も移住して2週間もすると、家族全員が危険な状態になりました。
毒虫や病原菌をもつ吸血虫に刺され続けると、原因不明の高熱や脱水症状で体力を消耗します。立っていられず横になるのですが、そのうち寝ていてもしんどくて、ハエがたかってきても手でよけることすらできず、最後は家族で川の字になって垂れ流し状態。
栄養をつけようと食べると吐く、水を飲むと強烈な腹痛で排泄。アマゾンでの生活は本当に過酷でした。
病院に行こうにも、カヌーで2日かかりますし。やっとの思いで着いた医療施設も設備が整っておらず、麻酔なしで手術をしたこともあります。
-なんと凄まじい体験!日本に住んでいると考えられない状況です。
吉野 朝さん:私はとくにひどくて。あるとき、からだの無数の虫刺されが膿んでジュクジュクの状態に。気が狂うほどの痒みなのですが「掻くな」と言われているので、スプーンを熱して押し当てて焼こうとしたこともあります。
そんな日が1週間ほど続いたある夜、ついに痒みに耐えきれずに掻いてしまい、その気持ちよさに無心で掻きむしってしまったのですが、その日を境に体温が下がってぐったり・・・・・・。
そんな私の状態を見た家族や村人が「このままだと危険だ」と、ある男性を呼びに行ったのです。
その男性とは集落のリーダーで、お医者さんでもあるシャーマン。ひげをたくわえたその男性は瓶に入った黄金色の液体を持ってきてくれたのですが、それが森の聖木・コパイバマリマリの樹液だったのです。
彼は私の傷にその黄金の樹液を塗った後、口の中にも数滴入れて「これでもう大丈夫だ」と。
そして驚くことに、翌朝になると膿だらけのジュクジュクの状態の足も、強烈なおなかの不調もどんどん良くなっていきました。
そして、弱り切っていたからだが栄養をほしがっているのがわかるほど、おなかがグルグルと鳴り出したのです。
-いのちの危機から救ってくれたのがシャーマン、そしてマリマリの樹液だったのですね。
森の賢者、シャーマン
吉野 朝さん:コパイバの木の樹液は、現地のインディオ達が古くから、あらゆるトラブルの際に用いてきたものです。
中でも、肌なじみの良い「マリマリ」の愛称で親しまれる樹液は、インディオ達の間で大変重宝されています。そんな貴重な樹液をいただき、本当に有り難かったです。
元気になってからシャーマンの家によく足を運びましたが、忙しくされていてほとんど家にはおられませんでした。というのも、シャーマンはその集落のお医者さんであり教師であり、警察官であり裁判官でもある。
部族によって異なりますが、私の住んでいた集落では、皆と住居を共にしながら神や精霊、木々や川、動物や虫病やケガの治療について2年ほど学んだ後、卒業試験をパスしないとシャーマンにはなれないそうです。
そして、その卒業試験とは、師匠から学んだあらゆることを駆使して、さらに奥深い密林で、ナイフを持たず衣服も着けずに単身400日を生き抜く、というものでした。このような超過酷な難題を見事やり遂げた人こそが、村のシャーマンだったのです。
シャーマンは、「集団社会における責任と使命を自覚し、献身と奉仕の精神に満ちた【森の賢者】」なのです。
ですので、マリマリ以外にも、森の中のさまざまな植物の種や樹皮、葉や果実を煎じて病人に力を与える飲み物をつくったり、村の指導者と会合に出かけたり、問題を抱えた村人の家を巡ったり・・・・・・その活動は多岐にわたるものでした。
シャーマンは、先人から受け継いだ森の中の健康に良いあれこれ(動物から植物まで)を熟知していて、その知恵を私たち村人に授けてくれていました。
森のことは何でも知っていて、私たち子どもにもわかるように、ていねいに教えてくれました。
アマゾンに伝わる昔話
-自然の中にある叡智を授けてくれるシャーマン、代々続く生きる知恵を教えてくれる素晴らしい存在ですね。
吉野 朝さん:そうですね。シャーマンからアマゾンで生きていく術などいろいろと教えてもらいましたが、そんな中でも最高峰の知恵がコパイバマリマリの樹液だったのです。
アマゾンには、こんな昔話が残されています。
「からだに深い傷を負いながら森をさまよう青年の目の前に光り輝く大樹が現われ、
幹からは黄金色の樹液が溢れだしている。
そこに大きなジャガーがやってきて、樹液を舐めたりからだにこすりつけたりして去っていった。
青年も同じようにしてみたところ、先ほどの傷はどこへやら。
精気を取り戻し、無事に村へとかえりついた」
このような逸話が残るほど、代々現地で大切にされているコパイバの樹。
中でも、マリマリという品種の樹液はなかなか手に入りづらい大変希少なものだったのですが、それに出合えたおかげで家族皆が5年間生き抜き、日本に戻ってくることができました。
-それほどまで貴重なものを、地球の裏側の日本に住む私たちがいただけるのは、吉野さんご一家の命がけの5年間があってのことですね。本当にありがたいです。
吉野 朝さん:もともとは、アマゾンに学校を創るという父の思いで行ったのですが、現地での体験が『コパイバマリマリ』の販売と繋がりました。
一万年以上も前からアマゾンの人々の不調を和らげ、癒し続けてきた生命力あふれる聖木。
いま、私たちは、その木のいのちを守りながら採取されている樹液『コパイバマリマリ』を、フェアトレードを通じて日本に直輸入しています。
コパイバマリマリの木
余談ですが、現地にはマリマリ以外にもさまざまな自然の叡智があるのですが、日本に持ってこられるのは、コパイバマリマリの樹液だけだったんです。
安全性も確認でき、地球環境にも負荷を与えないすべての検査をクリアした『コパイバマリマリ』は、日本で体験できるピュアなアマゾンの健康の秘訣です。
-ますます『コパイバマリマリ』に興味が湧いてきました。次回は、『コパイバマリマリ』についてさらに詳しいお話やアマゾンの森でのルール、さらには自然と共存することの大切さなどをお伝えいただければと思います。
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