写真 左:柳生耕一先生/右:吉川竜実先生
~伊勢直伝神桜流(しんおうりゅう)・柳生制剛流抜刀(やぎゅうせいごうりゅうばっとう) 神宮奉納演武レポート~
先の見えない時代を超えて、自分らしくいのちを輝かせて生きる叡智を探るなかで、伊勢神宮の吉川竜実(よしかわたつみ)先生を通じて「居合道(いあいどう)」と刀剣(とうけん)の世界に出合うことができました。
そこで今回は、三種の神器のひとつでもある「剣(つるぎ)」に迫ってまいります! =レポート 高木みのり=
はじまりは神宮奉納演武
伊勢直伝神桜流・柳生制剛流抜刀
海外で「日本的」だと強く印象づける代表的なものが、BUSHIDO(武士道)やSAMURAI(侍)などの日本刀にまつわるものではないでしょうか。
現代社会で私たちが日本刀に触れる機会はほぼ皆無ですが、筆者は倒幕ののちに仏門に入った武家が遠い先祖だと聞かされて育ったこともあり、「人を斬る道具」としての刀剣の本質はなんだろう?と、思いを馳せることがありました。
そして「日本的霊性とは何か?」を掘り下げているなかで、いつもお世話になっている伊勢神宮の吉川竜実先生が外宮勾玉池(まがたまいけ)にて居合の奉納演武をされると伺い、これらの問いを携えて伊勢神宮に馳せ参じることにしたのです。
さて伊勢神宮と剣といえば、日本神話に登場する三種の神器のひとつ、「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」が想起されます。
スサノヲノミコトがヤマタノオロチを退治した時に出現した神剣で、天照大御神に献上された後、天孫降臨の際にニニギノミコトに託されたという由緒があります。
また、伊勢神宮の創祀にまつわる第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)が武具を神々に奉られたことが日本書紀に記されていますが、神々に武具を奉献する慣習があるのは世界でも日本だけに見られる特異な事象であることを伺いつつ、演武の日を迎えました。
2023年11月26日、晴天の外宮勾玉池にて神宮神職の方々と地元伊勢の名士の方による伊勢直伝神桜流(※1)と、柳生制剛流抜刀(※1)の奉納演武が執り行われました。
本来は陛下の御大典(皇位を継承される式典)を奉祝する記念行事として開催される予定でしたが、コロナ禍で延期に……。
そこで、第22世柳生新陰流兵法(※3)宗家第14世柳生制剛流抜刀宗家の柳生耕一先生のご協力とご助力を賜り、皇室の弥栄と天照大御神様のさらなるご威光を祈念して開催される運びとなったそうです。
ほぼ無風のあたたかで穏やかな日差しのなか、吉川竜実先生の演武からはじまりました。
演武で使われるのはもちろん真剣、日本刀です。
なにものかを断ち斬り祓う吉川竜実先生の演武
いつも朗らかで高らかに笑うチャーミングな吉川先生とはうって変わった龍神のような眼光と、空を斬る刀のヒュンという音や鞘(さや)に仕舞う動作の一挙手一投足に目を見張りながら、鋭い太刀筋(たちすじ)に「強力な祓(はら)え」を感じました。それと同時に、剣が三種の神器である所以も直感したのです。
その直感のまま、剣士の方々の太刀によって斬られていく「なにものか」を感じながら、最後に迎えた柳生耕一先生の気合轟く一刀で、神宮奉納演武の幕が閉じられました。
轟く気合いとともに一刀で空間を斬り裂く瞬間の柳生耕一先生
「心法」と「無刀の心」
日本刀を見ることも使うこともなくなった現代日本ですが、剣を通じた人の生き方「心法」を指針に貫いてきた柳生新陰流には、時代を超えて活用できる自然界の法則・奥義が垣間見えます。
万法は 無に体するぞ 兵法も 無刀の心 奥義なりけり
柳生石舟斎宗巌(やぎゅうせきしゅうさいむねとし(※4))
この歌に詠まれているのは、「万法の実体は無だからこそ、兵法の奥義は『無刀の心』なのだ」という極致。
柳生新陰流の礎を築いて「無刀の位」を開悟し、剣聖と呼ばれた柳生石舟斎宗巌が残した兵法百首のひとつですが、とっても量子論的で、般若心経の色即是空(しきそくぜくう)にも通じる宇宙の原理をも表していると思いませんか?
そしてこの柳生新陰流で指針として厳格に守られてきた教えは、真実の人・転・性自然の3点に集約されているといいます。
【真実の人】私心のない、誠の人を目指す。仁(思いやり)・義(人として行うべき正しい道)・礼(礼儀と感謝の心)・智(物事の善し悪しを理解して判断すること)・信(うそをつかないこと)、それと同時に温(温かみ)・良(素直さ)・恭(うやうやしさ)・倹(控えめさ)・譲(他人を立てる)が大事。
【転】自分の考えに固執せず、その状況に応じて柔軟に最適な手段で対応する。心身ともに先入観を持たない「無形の位」で、千変万化する相手を明らかに観る。
【性自然】心身一如、自然の活(はたら)きに従うこと。本来の自己である自然に循(したが)えば、物事に適切に対応できる。
(柳生新陰流兵法公式サイトより)
柳生新陰流兵法制剛流抜刀剣士の皆さま(中央が柳生耕一先生)
伊勢直伝神桜流剣士の皆さま(中央が吉川竜実先生)
また宗家の柳生耕一先生は、同サイトにて次のようにもおっしゃっています。
兵法を学ぶことと己自身の人間性を高めることは表裏一体を成すものです。自己の心を正し、絶えず向上させていく必要があります。(略)
「昨日の我に今日は勝つべし」という言葉に象徴されるように稽古を通して自分自身を向上させて行くことを門人に求めています。
つまり、兵法は相手に勝つというよりむしろ自己を高めるためのものだということ。
それは、激動する現代社会にあって逆境をものともせず「本来の自己」として生きるためにも必須の心構えであり、「天地とひとつ」になることだと示しているのではないでしょうか。
ちなみに、宮本武蔵の生涯を描いた井上雄彦氏の漫画「バガボンド」第11巻(講談社)で、武蔵に奇襲を仕掛けられた石舟斎が猫の手ひとつでそれを気圧し、「我が剣は、天地とひとつ」と宣べる印象的な場面が紹介されています。
目には見えないものを斬る
吉川先生はご著書『神道ことはじめ~調和と秩序のコスモロジー』のなかで、神社に設(しつら)えられた「鏡」が礼拝する人自身の心を映し出すと指摘する新渡戸稲造の一文
「神社に詣でる礼拝の行為は“汝自身を知れ”という旧きデルフォイの信託と同一に帰するのである」(『武士道 第二章 武士道の淵源』)
を引用しつつ、神社にお参りする目的を次のように説明されています。
自己を内観して明澄なる心の鏡に映し出された姿や像が本当の自分(真なる自己のアイデンティティー)であって、それは神前に設えられた鏡に自己に宿る神として投影されることもあります。
つまり自己のアイデンティティーを知ることがお参りの真なる目的なのです。
さらに神道を「日本の神々の存在を知覚し感謝を捧げ、直感(や閃き)を得る信仰である」と定義した上で、「人本来の純真無垢な状態である“清浄”へと回帰させる儀式」が祓い清めであるとして、ハワイの問題解決法SITHホ・オポノポノとの数多の共通点を見い出しておられます。
そのSITHホ・オポノポノの継承者で世界に広めた第一人者である故イハレアカラ・ヒューレン博士にハワイ島で直接その方法を学んだ筆者は、以来17年間実践に努めてきました。
そして吉川先生から神道を学ぶたびに、両者の宇宙観、自然観、時空観が共通していることに驚かされてきたのです。
そのような筆者が、吉川竜実先生と柳生耕一先生の演武をはじめ、この奉納演武を通じて直感したのが、
「時空間や潜在意識(内在する世界)に溜め込まれてきた記憶のしがらみ」を断ち切って、自然に溶け込み無へと飛び込む様
だったのです。
鏡が自己を知るための神器ならば、剣は本来「内的に自己を律する」神器。
ともに本来の自然で清浄な自己へと回帰するためのものだったのかもしれません。
美味しい料理を捌くための包丁も使いようと言い換えると、あまりに日常過ぎるでしょうか。
また、さまざまな物事を昇華させて自己を高め、万法(宇宙)と一体化して生きようとするあり方が、「日本的霊性とは何か」を浮き彫りにしてくれているように感じました。
最後に、伊勢直伝神桜流・柳生制剛流抜刀の神宮奉納演武を終え、記念撮影を許可くださった柳生先生より耳を疑うような一言を伺ったのでご紹介します。
本屋で偶然SITHホ・オポノポノ・ダイアリーを手に取りその存在を知ったのですが、こんな捉え方もあるんだなと思って関心を覚えています。
宇宙の真理はやはり通じているようです。
いつか柳生先生に詳しいお話を伺える日を楽しみに、本レポートを締めくくりたいと思います。
ありがとうございました☆
(written by 美習慣パートナー みのり 2024年2月)
★筆者も日本刀(吉川先生の愛刀)を持たせていただきました。
その重さは剣士の皆さまが巧みに操っておられた姿とはかけ離れたもので、改めて演武の凄さを感じさせていただきました。
(※1)伊勢直伝神桜流:伊勢で百年続いた居合流派から分かれ、その歴史を神宮の居合道部が引き継いで誕生した流派。
(※2)柳生制剛流抜刀:室町時代末期、流祖水早長左衛門信正が僧の制剛から学んだ抜刀技が、高弟の梶原源左衛門直景から新陰流兵法補佐の長岡房英に伝わり、次代房成によって術理が大成。以降、柳生厳周、厳長によって練り直され、延春厳道、耕一厳信へと相伝され、今日に至る。
(※3)柳生新陰流兵法:室町時代末期、流祖上泉伊勢守藤原秀綱により創始され、柳生石舟斎宗厳が第二世を、その嫡孫・兵庫助利厳が第三世を継承。以降、現在の第二十二世宗家柳生耕一厳信に至るまで代々受け継がれてきた兵法。https://yagyu-shinkage-ryu.jp/
(※4)柳生石舟斎宗厳(やぎゅうせきしゅうさいむねとし):代々「厳」の字を用いて「とし」と読ませる尾張柳生の表記としました。江戸柳生では「十兵衛三厳」以外は「厳」を使わず「よし」と読ませるため、江戸読みでは「むねよし」。
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