【後編】その気持ち、アイラブユーでいいのかな?愛・自然について語り合おう!

縄文意識と日本の霊性

12

「美しい」とは、正しい場所におさまること

吉川さん:ところでサティシュさん。この器は漆塗りなんですけれども、この漆塗りというのは1万年も前から使っているものなんですよ。

編集部:縄文時代の人たちは、漆を木から取り出してごま油で焚くことで利活用していたそうですけれど、どうしてそんな方法を知っていたんでしょう?木とお話していたとしか思えないですよね?

サティシュさん:本当にそうですね。

吉川さん:木の精霊に教えてもらったんですよ。

サティシュさん:先ほど、かわいいと美しいという話をしましたね。私たちにはこのように伝えられているんです。

「地球上に存在するすべてのものには、あるべき正しい場所がある。そのものにとって居るべき正しい場所にいるとき、それを美しいという。でも間違った場所におかれてしまっていることを醜いという」と。

ですから、すべての存在が正しい場所に置かれたときには、すべてが美しいのです。

吉川さん:1000年前に書き残された、神道の祓い清めで唱える大祓祝詞(おおはらいのりと)の言葉に、サティシュさんが言われたことと同じことが書かれています。

「言問ひし磐根樹根立ち(ことといし、いわのねきねたち) 草の片葉をも事止めて(くさのことのはをもことやめて)」とあります。

木や石が、本来置くべきところや生えるべきところでないところに置かれたり生えたりしたために、文句をタラタラ言っていたと。
今、サティシュさんが言われたように、「本来置くべきところ、あるべきところに置かれたら、文句を言わなくなって平和になった」と書いてあるんです。ですから同じです。

サティシュさん:素晴らしい。私たちには「毒物でさえも、正しい場所がある」と伝えられています。あるべき場所でないところに置かれたら、毒性を発揮して大変なことになってしまうのです。

辻さん:吉川先生のご著書を読んできたわけですけれども、こうして食事を共にしながら直接お話させていただくと、エネルギーを直に感じられて素晴らしいです!

吉川さん:サティシュ先生と辻先生と一緒にお話していたら、時間がいくらあっても足りないですよね!
先ほどの「ネイチャー」というキーワードについて、もちろん自然という意味もあるけれども、人にもネイチャーがあって、これは「あるがままに生きていく」ことなんだと思っています。

辻さん:それを説明する土台として、日本の「自然」は、近代化の前には今と別物で、今世界中で注目されている言葉で言えば、self-regeneration(おのずから再生する)であり、生命の定義とも言われるオートポイエーシス(※4)なんです。

サティシュさん:英語でもラテン語でも、ネイチャーの語源は「生まれる」ということ。蕾や芽生えのようなもので、すべてのものが自然から生じていますよね。

吉川さん:存在自体が答えですから。

サティシュさん:その通りですね!存在自体が答え。

※4 オートポイエーシス(autopoiesis)、自己が自己の構成素を生産するという生命システムのこと。生命現象としてだけでなく、社会現象や経済現象、心理現象にも見られる。

「愛」と「ありがとう」の奥にあるもの

辻さん:日本で出版されたばかりのサティシュの『ラディカル・ラブ』に、「問いが何であれ、答えは愛である」とありますが、あれはどうでしょうか?

吉川さん:愛というのはおそらく、明治のときに日本人がラブに対してつけた言葉ではないかと。
日本人にとっての愛は「慈しみ」とか「大切で仕方がない」とか、ラブとはイコールではなくてちょっと違う観念だと思います。

辻さん:それが今回の本をぼくが訳すにあたっての大問題で、ラブという概念を「愛」と訳すだけでいいのかと。ただラブはもうすっかりみんなの中に入っている言葉だし、よし、正面突破で行こうということになったんです。

吉川さん:じつは私も同じ感覚があります。
SITHホ・オポノポノ(※5)というハワイ先住民の儀式が由来の問題解決法をとても神道と親しく思っていまして、今年はハワイに行かせていただいたのです。

そこで有名な4つの言葉、I love you, Thank you, I’m sorry, Please forgive meがありますけれど、私はI love youにもThank youにも違和感があったんです。I love youというのもハワイのカフナの言葉なんだろうか?もともと創始したときからそうだったのか?と疑問に思っていたのです。そうしたらThank youについては、創始者のモーナ・ナラマク・シメオナ女史が初期の祈りでI’m gratefulと言っていた録音がありました。

>”>※5 ハワイ伝統のヒーリングメソッド、ホ・オポノポノについて、詳しくはこちらをご覧くださいませ>>

辻さん:日本語の「おかげさま」に近いのでしょうか。「おかげさま」というのはつくづくすごい言葉ですね。そこには主語も述語もない。というか、超越している。直訳するとin the shade of……なんですけれど、なんの陰かというと、あなたのおかげだけじゃなくて、全世界のあらゆるつながり、そして過去のご縁もすべて含む丸ごと。
それこそがすべてつながっているという仏教の本来の原点でもあるし、自然信仰でもあります。

吉川さん:そう思います。日本語のありがとうはすべて関係した存在に対してありがたいであって、日本人はyouだけに言っていないですからね。

サティシュさん:サンスクリット語にもThank youという言葉はないんですよ。

We are blessedという、「私たちはともに祝福されています」と表現するんです。

辻さん:「ありがとう」にも主語がないですよね。ありがたいはあり得ない、つまり、不可能が可能になっているということ。でもThank youだと「私はあなたに感謝する」という主語・動詞・目的語ですから、私とあなたの分離に基づいている。

 「日本語に主語はいらない」(※6)という本で知られる金谷武洋(かなやたけひろ)さんという日本人の言語学者がカナダにいらっしゃるのですが、先日会いに行って、直接お話してきました。

金谷さんによると、日本語には主語がないのはもちろん、英語でさえ、かつて先住民言語であったときには主語がなかった。非文明社会の先住民の言語には主語はない、というのが彼の仮説です。

サティシュさん:その通り!文法は後になってつくり出され、それによって分離もまたつくり出されたわけですからね。

※ 金谷武洋 カナダ在住の言語学者。元モントリオール大学教授。著書に『日本語に主語はいらない』『英語にも主語はなかった』「西欧語と日本語」など。

歩くとは、大地への祈り。身体の経験が先!思考は後!

辻さん:サティシュの師だったビノーバ・バーベの文章を、サティシュが編集した本、『怖れるなかれ(フィア・ノット) — 愛と共感の大地へ』をぼくが訳し、友人の出版社が出してくれました。
原題の「Intimate and Ultimate」は、同じ韻をもつ二つの言葉を並べる言葉遊びにもなっている。最も近しく親しい存在というintimateと、究極を意味するultimate。今・ここと宇宙・永遠が合体しているわけです。

聖人として仰がれるビノーバは、若くしてマハトマ・ガンディーの精神的な柱になったすごい人です。一生乗り物に乗らずに歩く。持ち物はふんどしのみ。早朝暗いうちに出発して、次の村へと歩いては説法することを繰り返してインド中を歩いたそうです。

少数の大地主が全ての土地を所有する時代ですが、ビノーバは各地で、彼を聖人として敬い、集まってくる大地主たちに語りかけた。
「あなたの子どもは何人いますか?」と尋ねて、たとえば「5人です」と答えが返ってきたら、「そうですか。それでは私を6番目の子どもにしてください。そしてあなたの土地の6分の1を私にください」!(一同爆笑)

これを「ランドギフト運動」というのですが、子どもの頃に出家してジャイナ教のお坊さんだった二十歳前のサティシュも還俗してこの運動に合流することになるのです。
「自分だけのために悟りだけを開いてもダメだ。ガンディーの教えに従って世界を変えたい!」と、ビノーバのもとに馳せ参じて、一緒に村から村へと歩いたわけです。

サティシュさん:その通り! ビノーバとその元に集った私たちは、そんなふうに歩いて、結局、日本の四国くらいの面積の土地を得て、それを土地なし貧民たちに分け与えたんですよ。

辻さん:面白いのはね、地主が感動しちゃって「いやいや6分の1といわず3分の1をあげます」とか「半分差し上げます」とかと申し出たときに、ビノーバは「いえいえ、私は6番目の息子だから、6分の1だけでいいのです」と断るんです。

吉川さん:僕も散歩が好きなんですけど、大地を踏みしめて歩く一歩一歩が大地に対する祈りなんでしょうね。

サティシュさん:そうです!歩くとは、祈りなんです。

吉川さん:老子は足の裏で思考して、日本人は肚で考える。西洋人は脳だから、一番離れているかもしれませんね。

辻さん:民藝の陶芸家、河井寛次郎も、「手で考え足で思う」と言っていました!

サティシュさん:サンスクリット語では、「思考より先に実行しなさい、考える前の実践が大事である」とも言っています。そして、やはり実践によって、意味がそこに現れるのです。

何かを生きて経験することなしに、本当の理解は得られないのです。足と手というのはまさにヒンズー哲学でいう「実践」です。でも、西洋は理論や思考が実践の前にあるので、逆ですよね。そして身体は、そのための手段ということになってしまっています。

吉川さん:一昔前に、医師の大村恵昭(おおむらけいしょう)博士がつくったOリングテストが流行りましたが、まさに「カラダが真実を知っていて、後から思考がついてくる」ということを物語っていますよね。
神道でも「人のカラダはこの世で最も優れたセンサー」だと捉えているんですよ。私はポンコツですけどね(笑)。最後まで訳してくださいね、ここらへんで笑いを取らなくてはいけませんから(笑)。

サティシュさん:(爆笑)。私たちのカラダにすべてが含まれているということが、すごいですよね。創造力、勇気、愛、共感、行動、つくること、成長すること、見ること、聞くこと、これ以上に何が必要なのでしょうか。

吉川さん:まさにそうで、日本文化は古来「足るを知る」という文化なんです。

辻さん:それが究極のインテリジェンスですね。

サティシュさん:それに対して、現代の世界は経済成長に執着して、どんなに成長しようが絶対に「足る」ことのない世界をつくりあげてしまっています。

吉川さん:幸せや足りていることに目を向けて、すでに満たされていることに気づいていく。足りないところはむしろ無視するくらいで生活していく方がいいと思います。

日本人は特に西洋指向の物質主義になってしまっていますが、意識を足りているところに向ければ、ブータンの100倍も幸せになることができると思います。

サティシュさん:絶対にそうです!ベリー・グッド!

吉川さん:ありがとうございます!サティシュ先生に褒めていただくとめちゃくちゃ嬉しいよね。

辻さん:いや、最初からほめっぱなしですよ。(一同爆笑)

許し、許され、祝福されている。このエネルギーが癒しになる

辻さん:サティシュの楽天主義というか、この明るいエネルギー!

来日中の講演会で、質問に立つ若者が話している最中に泣いちゃうんですよ。生きづらいんでしょうね。未来について悲観的にならざるを得ない、大人たちを見ても希望がない、自分が生きている意味がないんじゃないかって思い詰めている子がいっぱいいるんです。
そういうとき、サティシュのように、明るく「希望はあるよ!」と言ってあげられる大人が少なすぎる。

吉川さん:サティシュさんは生きる力に満ち溢れている。今一番若い子たちに足りないのは、生きる力。だからサティシュさんが会場にパーッと現れたら、もうそれだけで役割を100%果たしているようなものなのです。

辻さん:そうなんですよ。オンラインでは無理だし、本も限界がある。
目の前に現れた彼が発する許しのエネルギー、祝福のエネルギー、「あなたはそこに居るだけですばらしい」というメッセージに、今の若い人たちは触れる機会がないんだなあ。

吉川さん:それです。その丸ごとを受容するエネルギーが、天才を生み出す一番のエネルギーなんですよ。エジソンだって、お母さんが存在を褒めて褒めて褒めちぎったことで天才になったし、坂本龍馬もそうでしょう。

サティシュさん:そうなんです!(講演会で)若者が泣いているのを見て心が痛むけれど、 同時にそれはその人の癒しになっている。その人はその癒しのために来ているんですね。人前で泣くというのは大変なことですから。

吉川さん:そう、そうですよ。

辻さん:南アフリカのデズモンド・ツツ大司教が、死ぬ前にダライ・ラマと最後に一緒に過ごした日々の対話が、「ミッション・ジョイ」という映画になりましたけれど、そのメッセージは「結局、宗教を超えて、人間のミッション(使命)というのは、喜びなんだ」ということです。

吉川さん:ダライ・ラマとはシンポジウムをしたときにお会いしましたが、エアーズロックのような人ですね。毎日、死の瞑想をしていると言っていましたし、やはりすごいなと思いました。

 合っているかどうかわからないですが、そのときダライラマから感じたメッセージとして「チベットは滅びても、絶対に戦わない民族として、恨みは恨みで返さない。恨みつらみの連鎖は誰かが切らないといけないし、それをチベット民族は世界に対して果たすんだ」と。
それを体現して活動されているんだと、お会いしたときにそう理解したんです。

辻さん:そうかもしれませんよね……。仏教の本質は赦しだということでしょうね。サティシュの前著「エレガント・シンプリシティ」(NHK出版・辻信一訳)でも、赦しが中心のテーマでした。

吉川さん:日本神話の古事記と日本書紀に、スサノヲさんが乱暴をどれだけ働いても、天照大御神は決して怒らずにお赦しになったと書いてあるんです。日本人が何かあるとすぐに謝るのは、「赦してね」というのが沁み込んでいるんですよね。海外では謝ったら(訴訟になるから)ダメですよね。

無意識の行動だと思いますので、そこ(すぐに謝ることができる背景には、すぐに赦されるという環境がある)に日本人が意識を向けて、「赦すことを、自分たちは無意識で知らない間にやっているんだな」とスイッチを入れてあげたら、少しは変わってくるんじゃないかと思うんですよね。日本人は、世界一謝り、赦される民族なんだよということ。

辻さん:謝り過ぎだと思うところもあるんだけど、でも確かに、「すみません」というのも単に謝っているのではなく、「ありがたい」と同じように、これは只事ではないっていう思いの表現なのかも。

挨拶が、「元気?」とかじゃなくて、「すみません」だったり。確かに他の文化にはなかなかない。「すみません」も美徳かもしれないですね。

吉川さん:面白い視点ですよね。アイ・ラブ・ユーをきっかけにいろんなことを考え直すことができる。素晴らしい言葉ではあるんですよね。アイ・ラブ・ユーというのは。

辻さん:でも、サティシュも、日本人がアイ・ラブ・ユーに言いにくさを感じていることについて、それはそれで重要だと言ってくれています。

サティシュの本に、「君あり、故に我あり」(※7)というのがあって、その題名は英語の訳なんですが、もともとのサンスクリット語では「ソー・ハム」という表現で、それは「そこはここ、ここはそこ)」といった意味らしい。
ここにも、主語や目的語はないんです。

吉川さん:そうです、そうです。日本語で、文章に「私は」があるのは一番悪い文章とみなされていて、その次が「我々は」ですけれども、それで最後に主語がないのが最も美しい日本語の文章になるので、それは自然とか環境に埋没している言葉が最も重要視されたんだと。だから面白いんですよね。

辻さん:埋没か……。面白い言葉ですね!先ほどサティシュの話の中にも、embedded、つまり、埋め込まれているという言葉があったんです。埋没の没は没するだから消えますね。

吉川さん:消えます。溶け込んでしまうんですよね。

編集部:サティシュさんの母語であるサンスクリット語も日本語も、自然界はもちろんすべてをとりまく宇宙とそもそも溶け込んで一体なんだという分離のない宇宙観が根底にあったんですね!
それを意識して、日々に生かすことなんだと先生方のお話をうかがっていてしみじみと感じました。いつか伊勢神宮で続きのお話をうかがいたいです。このような貴重な機会をつくってくださり、本当にありがとうございました。

※7 「君あり、故に我あり~依存の宣言~」(講談社学術文庫)

(取材・文責:高木みのり)

▶サティシュ・クマールさんの新刊「ラディカルラブ」はこちらから

【写真前列・左より】サティシュ・クマールさん、編集者、吉川竜実さん、辻信一さん 【写真後列】京都在住のナマケモノ倶楽部会員・二葉さんご夫妻

《編集後記》
初めてサティシュ・クマールさんにお会いしたのが18年前。これから新時代を生きる私たち一人ひとりの中で、「土(ソイル)・魂(ソウル)・社会(ソサエティ)」という3つの側面(3S)が融合するだろうというお話を伺い、とても感銘を受けました。
 ・土:生態系の一員であることを知り、大地を、地球を大切にする。
 ・魂:単なる物質ではなく精神的・霊的(スピリチュアル)な存在として自分を慈しむ。
 ・社会:人間の本質が社会的な存在であることを知り、人々との、社会とのつながりを大切にする。
そしていま、トータルヘルスデザインの日々の業務を通じてこの融合へと歩むなか、サティシュ・クマールさん、辻信一さん、吉川竜実さんの夢のような三者鼎談が実現☆
大学時代は辻さんの教え子だったというご縁も加わり、記念撮影では有り難くも、先生方のど真ん中に陣取らせていただきました(笑)。
この対話の実現にあたり「サティシュさん、ようこそ委員会2024」「株式会社素敬ゆっくり小学校」の上野宗則さんに、細やかなお心遣いとユーモアに溢れるご協力を賜りました。この場を借りて心より厚く御礼申し上げます。(高木みのり)

▼前編はこちらから

▼吉川竜実さんご講演録~縄文のDNAを呼び醒ます!~はこちらから

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