地球規模の気候変動と世界各地の紛争や貧困、格差など、出口の見えにくい多くの問題を解決するには、「愛しかない!」。そう言い切るのは、世界的に知られるエコロジー思想家サティシュ・クマールさん(写真中)。著書『ラディカル・ラブ』日本語版の出版を記念して7年ぶりに来日したサティシュさんを京都に迎え、伊勢神宮の吉川竜実さん(写真右)との対話の場が実現しました。
さらに今回、「スローライフ」や「ハチドリのひとしずく」の生みの親でもある文化人類学者の辻信一さん(写真左)も加わり、愛と自然観について語り合う、敬意と共感に満ちた対話が展開されます。そこから見えてくることとは?
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自然はいのちの源そのもの。私たちは自然に包まれている
サティシュ・クマールさん(以下、サティシュさん):長年、自然を信仰する神道を慕ってきましたので、今日は本当にお会いできて嬉しいです。
日本では、神道が仏教を受け入れ融合してきた。これは自然界と人間との融合をも意味すると思うのです。そしてそれは、私の文化的背景でもあるヒンズー教が「神は自然にある」としていることにも通じています。
吉川竜実さん(以下、吉川さん):こちらこそお会いできることを大変楽しみに参りました。ヒンズー教も神道と同じアニミズム的信仰で、八百万(やおろず)の神々に匹敵する自然界の神々を信仰するお仲間ですよね。
昨年は、ヒンズー哲学であるアーユルヴェーダのお医者さんがバングラデシュから神宮にいらしたので、ご神域にご案内したんですよ。
日本人の自然観というのは、世界でもきわめて稀なのだと思います。
それは今から1万年前の縄文時代に培われた「人は自然の一部である」という自然観が、そのまま今の日本人の文化的DNAとして組み込まれていることからくるものです。
たとえば日本人の葛飾北斎や岡本太郎のアートの表現が、そのまま縄文的な表現を引き継いでいることが見て取れます。
そこで、これから世界の人に日本人が訴えかけていくべき自然観は、自然と対決するのではなく、「自然に包まれているという感覚(没自然)」だと思っています。
キリスト教の聖書の中には好きなところもありますが、「人間が自然をコントロールする」と明確に書いてあるところが問題だと思うのです。
サティシュさん:聖書には「人間は自然を支配してよい」とまで書いてありますよね。
そもそも我々は自然と一体であるにも関わらず、人間と自然を別々に分離していることが問題ですし、自然を生きている存在としてではなく、経済のための資源であり単なる「モノ」とみなしてきたことに問題があります。
資源ではなく、いのちの源そのものですよね。

吉川さん:はい。西洋中心の「二元論」(※1)は対立や分離が前提ですから、すべての存在に神を見出す「一元論」(※2)に戻っていかなくてはいけませんよね。そして自然や地球のエネルギーを、お母さんを慕うように信じ切らなくてはいけません。それが信仰の役割であると思います。
※1 二元論:光と闇、善と悪など、相対立する二つの原理で、あらゆるものを説明しようとする考え方。
※2 一元論:すべての物事は究極的な原理によって統一されており、対立や分離のない考え方。
たとえばエジプトを含めた西洋文明では、石や木を「マテリアルに過ぎない」とみなしますが、日本庭園に置かれている石は、加工をせず、ありのままの姿を愛でるという日本独特の「見立ての文化」によるものです。
そのように、ありのままの自然を愛でるというのは、やはり縄文1万年の文化が今もなお日本人の中にアニミズム的な信仰として息づいているからだと思います。
サティシュさんの修行されたジャイナ教もそうですよね。
そして、サティシュさんがよくおっしゃっている「原罪(性悪説)をやめた方がいい」というのは、私も本当にそう思います。神道はお人よしなくらいに性善説ですので。
サティシュさん:間違いなくそうです。そもそも社会変革を実践する活動家は、楽天家でないと務まりません。悲観主義者は、ただ批判しているだけのジャーナリストにでもなった方がいいと思います。
性質の違いはあるけれど、超越して根っこを共有する
辻信一さん(以下、辻さん):じつは、実父が南北分断以前の朝鮮出身者で、日本に留学に来ていたときに第二次世界大戦が、続いて朝鮮戦争が起こり、そのまま帰られなくなった人なのです。
ぼくはそれを知らずに育ったわけですが、当然のようにいわゆる左翼的な考え方の下で育ち、高校生の頃には疑いも持たずに学生運動に飛び込みました。幼い頃から神道に対して右翼思想というイメージがあり、天皇制についてもピラミッド的で非民主主義的な構造として違和感を持ってきたのです。
ですが、神社に行くのも好きだし、安らぎを感じるわけです。だから神道のことをサティシュから聞かれるたびに、「縄文時代からつながるアニミズム的なものがベースだけれど、時代によって抑圧されたり、利用されたりしたんだ」と僕なりに説明しようとしてきた。そのあたりを、今日はご説明いただきたいと思います。
吉川さん:そのときに一番流行っていた思想や信仰が悪いとは思っていないのです。たとえば、非常に左翼的だということで知られる宮崎駿さんが生み出した作品は、奥深い精神性を描き出したものばかりですし、神道のように自然信仰を表しています。
左翼として知られた、いわさきちひろさんの絵は多くの方々に感銘を与えますし、私も好きです。
ですから、すべて奥のベースにある見えないところに存する根っこは、辻先生のお父様もちひろさんも一緒だと思いますし、「どこかなつかしい」と感じる記憶を共有しているということが大事だと思うのです。

古代において、たとえば朝鮮半島の人が渡ってきて高麗神社をつくっているんです。
ということは、朝鮮半島でもアニミズム的な信仰形態を持っていて、仏教や神道、キリスト教を取り入れてきたということ。ですから分かり合えないことはないと思っています。
辻さん:現代韓国の文化にもシャーマニズム的要素が残っていますしね。
吉川さん:そうです。モンゴルにもね。ですから、その辺の縄文時代のDNAみたいなものが刺激されて懐かしいと思っていただけたらいいと思っています。
サティシュさん:このように考えるのはいかがでしょう?右や左というのは陰陽のようなもので、分かちがたく、二つで一つのものとして、ともに必要なのだと。
吉川さん:はい。陰陽という分離を超越して、どちらもよいとするのが、神道なんです。
サティシュさん:超越(トランセンド)ですね!
吉川さん:男と女も対立するものではなく、本来は、性質の違う補完しあうものです。私の務める伊勢神宮も、神宮自身がピラミッドの頂点に位置すると言ったことは未だかつて一度もないのです。
ですから神社の大小に関わらず、すべて役割が違うだけで対等です。
サティシュさん:本当にそうだと思います。つねに、二元論的な考え方が分断や争いの始まりになりますよね。
左翼右翼というのもあるけれど、左脳右脳だってあるでしょう?右脳も左脳も対立しているわけではなく、補完しあっています。どちらかが重要でもう一方はそうではない、という考え方は二元論的です。
吉川さん:表現や性質が違うだけなんです。
サティシュさん:その通りです。
日本人の愛のカタチとは。「今日は月がキレイだよね」?
吉川さん:卑近な例ですが、西洋の人に「かわいい人Aと、美人な人Bがいるとしたら、どちらを選びますか?」と言ったら、大陸の人々も含めて必ずAかBのどちらかを選びます。ですが日本人は「AもBもいいので、決められない」と選ばないでしょう。
西洋から見たら頼りなく思えるでしょうけれども、これが日本人の神道的な曖昧さなんです。
この例えは私のものではなく、韓国生まれの日本研究者である呉善花(オ・ソンファ)さんから指摘された日本人のあり方です。
辻さん:それは、今回来日して以来サティシュとずっと話してきたことに通じると思います。それは、「間(ま・あいだ)の思想」ということなんです。(※1)

サティシュは『ラディカル・ラブ』(※2)という本の出版を記念して来日したのですが、そのテーマである「愛」について語るのは、日本人はあまり得意ではありませんよね?
海外で長く暮らしたぼくですが、「アイ・ラブ・ユー」というのはとても言いにくい言葉なんです。そんな彼氏を持った女性からすると、「どうして言えないのよ!?」となるわけです。
その後、考えてみると、「アイ・ラブ・ユー」は日本語に訳せない。しかもそれは日本語という言語そのものが、英語と違って、「S V O」つまり、主語・動詞・目的語という構造を持っていないことに理由があるわけです。
※1辻信一(高橋源一郎との共著『あいだの思想』(大月書店)
※2「ラディカルラブ」(サティシュ・クマール著・辻信一訳・SOKEIパブリッシング)
吉川さん:持っていないのです。日本語はポエムですから。
辻さん:アイ・ラブ・ユーと言えないなら、では、なんと言うのか、というと、「月がキレイですね」とかね。
吉川さん:夏目漱石ですね。直球で伝えたりしないということ。
辻さん:主語も目的語もないこの曖昧さ、これが日本の愛のカタチなんじゃないかと。
吉川さん:「間」ですね。
辻さん:「間」です。
サティシュは本の中で「アイ・ラブ・ユーは世界で最も偉大な言葉だ」と書いているんだけど、その一方で私が言うこともすごくわかってくれるし、大事な視点だと言ってくれます。
「アイ・ラブ・ユー」という表現は、あらかじめ「アイ(私)」と「ユー(あなた)」という分離を前提にしている。それは二元論だとサティシュは言うのです。
ぼくが思うには、「私」や「あなた」という別々の実体の前に、その真ん中の関係性という「あいだ」が先にあって、そこから、その時々の「私」とか「あなた」が現れる。そんな感じかなと。
「間」を大切にする、大地にひれ伏す文化
吉川さん:神仏習合(※3)って言いますけれど、日本人は神さんと仏さんを習合させていないんですよ。
それぞれのいいところが、きちっと境界線を持って共存しているというのが日本人の「間」なんだと思います。
それから「間(ま)」ということ、間を取るというのは縄文大和言葉だと思います。
※3神仏習合:日本固有の神の信仰と外来の仏教信仰とを融合・調和するために唱えられた教説(コトバンクより)
辻さん:間というのは、漢字からしても中国由来かと思いますが、いかがですか?
吉川さん:ただ中国の考え方ではなくて、日本独自でしょうね。漢字をそこにあてはめただけだと思いますけれどね。
辻さん:韓国にはサイという「間」にあたるような、中国由来でもなく、漢字にもならないネイティブの言葉があるといいます。何か東アジアに特有の「あいだの思想」があるのではないかという気がしています。
吉川さん:私はそれを環太平洋と言っています。
たとえばラグビーのオールジャパンを見たら、環太平洋チームですよね?ニュージーランドの踊り「ハカ」も、相撲と似ていますよね?東洋というより環太平洋は、どちらかというと大地に足をしっかりとつけて、重心をあまり動かさずに水平並行に動く文化なんでしょう。
踊りで見ると、西洋はやはりバレーのような垂直なんですね。中国人もどちらかというと天に対してあがめる垂直の方なので。
だから二元論でいくと、これもいろいろあるんですけれども、手振りでこうやる(天に手のひらを向ける)のは天を祀る、そしてこうやって手振りを向ける(手のひらを下に向ける)のは大地を鎮めるという考え方。この二つにだいたい二分されると思うのですけれども、そこがちょっと面白いところだと思っています。
辻さん:日本の武道もやっぱり姿勢が低いですよね。
吉川さん:やはり大地なんです。辻先生も伊勢神宮に来ていただいたことがあると思うんですけれども、建物を立って見たらダメなんですよ、本当は。
辻さん:ダメというのは?
吉川さん:神職がお祭りをするときには、全部ゴザをひいて行うでしょう?下からの視線で、座って見る建築物なんですよ。伊勢神宮でも神を祈るときに、もともとは断然、しゃがんでお参りをする人が9割だったんです。
それが1960年代(昭和30年代)~70年代にかけて参拝者の皆さんがみんな立ってお参りをするようになったのですが、いいのか悪いのかではなくて、日本人の生活スタイルが変わったことによる形です。
それといろいろあるでしょうけれども、日本敗戦のときにみんなが皇居に向かって正座をした。
あれは強制的にひれ伏したのではなくて、畏怖する存在に対しては正座とか座った目線で祈りをささげるというのが、日本人の主なスタイルです。
日本書紀でも「天にせぐくまり、地に額(ぬか)づきて」とありますけど、「天にせぐくまり」というのは中国人の椅子に座った作法です。日本人の場合はゴザを敷いて地に額づくという形。
大地に伏すというのが祈りの捧げ方であり、崇敬の表し方というのがちょっと違うところかなと思うんですけど。お互いに表現の違いですし作法の違いなので、どっちがよくてどっちが悪いというのはないんですけれども、そういうところが面白いところかなと思います。
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サティシュ・クマール/Satish Kumar さん
現代を代表するエコロジー思想家、非暴力平和運動家。1936年インド生まれ。9歳でジャイナ教修行僧となり、18歳でマハトマ・ガンジーの非暴力思想に共鳴し還俗。1962年から核兵器廃絶を訴える13,000キロの平和巡礼を無銭、徒歩で2年半かけて行う。その旅で自然破壊を続ける現代文明の姿に危機感を抱き、環境活動も開始。1973年にイギリスに移住し、東洋と西洋の哲学を融合し、持続可能なライフスタイルを提唱する雑誌『リサージェンス&エコロジスト』の編集長を43年間務め、現名誉編集長。1991年、エコロジカルな生き方を実践的に学ぶ国際的教育機関「シューマッハ・カレッジ」を共同設立し、30年間で90カ国20,000人を育成。80代となった現在も、自然環境の再生、社会的な公正、精神的な充足を促進するための執筆・講演活動を精力的に続け、世界的に活躍している。『君あり、故に我あり 依存の宣言』(講談社学術文庫)、『エレガント・シンプリシティ「簡素」に美しく生きる』(NHK出版)、『ラディカルラブ』(SOKEI-パブリッシング)ほか、著書多数。

サティシュ・クマールさん

辻 信一さん
辻信一(つじしんいち)さん
文化人類学者、環境=文化NGO「ナマケモノ倶楽部」代表、明治学院大学名誉教授。1952年生まれ、1977年北米に渡り、カナダ、アメリカの諸大学で哲学・文化人類学を学び、1988年米国コーネル大学で文化人類学博士号を取得。1992年より2020年まで明治学院大学国際学部教員として「文化とエコロジー」などの講座を担当。またアクティビストとして、「スローライフ」、「ハチドリのひとしずく」、「キャンドルナイト」、「しあわせの経済」などの社会ムーブメントの先頭に立つ。『スロー・イズ・ビューティフル』(平凡社)、『ムダのてつがく』(さくら舎)など著書多数。映像作品に『アジアの叡智』(DVDブックシリーズ、現在8巻)など。訳書に『ラディカル・ラブ』など。新刊は『サティシュ先生の 夢みる大学』(ゆっくり堂)。
吉川竜実(よしかわたつみ)さん
神宮参事・博士(文学)。皇學館大学大学院博士前期課程修了後、平成元(1989)年、伊勢神宮に奉職。平成2(1990)年、即位礼および大嘗祭後の天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、平成5(1993)年第61回式年遷宮、平成25(2013)年第62回式年遷宮、平成31(2019)年、御退位につき天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、令和元(2019)年、即位礼及び大嘗祭後の天皇(今上)陛下神宮御親謁の儀に奉仕。神宮禰宜を経て現職。平成11(1999)年第1回・平成28(2016)年第3回神宮大宮司学術奨励賞、平成29(2017)年、神道文化賞受賞。著書に「千古の流れ」(弘文堂)、「神道ことはじめ―調和と秩序のコスモロジー」「神道の源流―縄文からのメッセージ」(ともにバンクシアブックス)、『いちばん大事な生き方は、伊勢神宮が教えてくれる』(サンマーク出版)がある。

吉川 竜実さん
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