伊勢神宮春季神楽祭・柳生新陰流兵法奉納演武にて(令和6年5月1日、撮影・画像提供:柳生会様)。当日は「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」を感じさせる降雨に続いて、天照大御神の御威光をあらわすような晴天になりました。
「自分らしく軽やかに凛として生きる」ために!
複雑化した現代社会の人間関係やビジネスの場で、「宇宙を味方に、凛として生きる」ための極意を、日本の霊性に学びます。今回スポットライトを当てるのは、心・技・体を磨き高めるために極められた「武士道(BUSHIDO)」の世界。なかでも日本を代表する武道流派のひとつで、黒澤明監督の映画「七人の侍」のモチーフにもなった「柳生新陰流兵法(やぎゅうしんかげりゅうへいほう)」です。
第22世柳生新陰流兵法宗家・第14世柳生制剛流抜刀宗家の柳生耕一(やぎゅうこういち)先生にお話を伺いました!
▼この記事の内容
●あらゆるものを超越した「無」にこそ極意がある
●重要なのは、「真実の人」として日々の自分を磨くこと
●固執せず、柔軟で、自然界の法則を身につける
●万物と一体化する「自他非分離」のあり方
●「生きているだけでありがたい」をスタートラインにする
●過去のご縁も「今ここ」につながって、未来をつくる!
あらゆるものを超越した「無」にこそ極意がある
編集部:「天地とひとつ」という柳生新陰流の奥義を継承されている柳生先生に伺いたいことがいっぱいあります。
まずは以前、柳生先生にご挨拶させていただいたとき、「本屋で偶然SITHホ・オポノポノ(※)の存在を知り、関心を覚えています」とおっしゃったのが意外すぎてビックリしたのです。
ハワイ先住民の儀式を由来とする問題解決法が、柳生先生の目にどのように映ったのか大変興味があります。
※SITHホ・オポノポノ:古代ハワイアンによる叡智を現代版として改良されたもの。世界の本質である「自由、平和、バランス」を取り戻す問題解決法のこと。《ホ・オポノポノ公式サイトはこちら》
柳生耕一先生(以下、柳生先生):たまたま何だろう?と手に取ってみたら、不思議な話でね。
お祈りか何かの言葉を唱えることで、因果関係はわからなくても、罪を犯したような人たちでさえも改心するような変化が結果的に実証されていると。こんなことが本当にできるのかな?と非常にビックリしたんですよ。
でもそれが神道のお祓いと同じような感じだったので、こんな考え方があるんだと思ってね。
編集部:実際にハワイ州立の収容施設がいらなくなって閉鎖されたので、州の予算が浮いたんだそうです。元職員の方がおっしゃっていました。
その方法は、自己を内省することで、問題の原因(潜在意識の記憶)が消去されて「無(ゼロポイントフィールド)」に戻ると、いわゆる“天”(神聖なる存在)から物事を正すエネルギーを受けて内なる平和を取り戻す、目の前の現実も変わるというもので、私も18年間実践しています。
その祈りのひとつに、「わたしは無より出でて光にいたる~」とあるのですが、柳生新陰流の礎を築いた柳生石舟斎(やぎゅうせきしゅうさい)が残した兵法百歌に、
「万法は 無に体するぞ 兵法も 無刀の心 奥義なりけり(万法の実体は無だからこそ、兵法の奥義は“無刀の心”なのだ)」
とありますね?この万法(宇宙)と一体化して生きるという「無刀の心(位)」が、「内省で“無”に戻る」に通じているように感じています。
柳生先生:面白いですね。あらゆる普遍的な物事のあり方は、分別の世界を超越した無分別の世界(無)にあると禅で伝えていますよね。
兵法はもともと刀を使った斬り合いにおける武術なのですが、刀がないときでも自身の命を全うするための考え方が「無刀」です。
刀を超越したところ(無刀)に本質と極意があると言っていて、石舟斎が残した兵法百歌のうち30首ほどが、無刀の技についてなのです。
ものごとを善悪や愛憎、生死といった二元的、対立的に理解しようと分別すると、主客対立にとらわれて苦悩する。分別に固執せず、それを超えた本質を直覚する智慧が「無分別智(むふんべつち)」。
無刀関連の話として、映画「七人の侍」にも使われたエピソードがあります。
前橋市出身の流祖・上泉伊勢守が、京都に上って自分の流儀を世に示そうというときのことです。
現在の愛知県一宮市にある妙興寺(みょうこうじ)を通りかかると、賊が子どもを人質に立てこもっていて村人が困っていた場面に遭遇しました。
そこで流祖は頭を剃って僧依を借り、刀を持たずにおにぎりを届けて、賊が油断した隙に捕まえたというものです。
それを元に、流祖は石舟斎に問うたのですよ。「自分が無刀で、相手は刀を持っている。どのように対応すべきなのか?」とね。
後に「自分の工夫した“無刀の位”」を石舟斎が流祖に見せたら、それでよろしい、ということで「一国一人の印可状」を授かったのです。
先日久しぶりに「七人の侍」を見ましたら、冒頭のシーンで頭を剃った主人公の侍(志村喬)が、ときどき坊主頭を撫でるのです。そういう何気ない仕草がよくできてるなと思います。
編集部:あのエピソードが「無刀の位」を生み出す発端であったと言う事がわかりました。
略奪をたくらむ何十人もの野武士に狙われた百姓の村が、七人の侍と一緒に突拍子もない方法や創意工夫をこらして立ち向かうストーリーは、柳生新陰流と関係があるのですか?
柳生先生:危機を回避するために、臨機応変に創造的に柔軟に、事態に対処するという方法は活人剣と似ていますね。
それまで一般的な闘争の仕方だった殺人刀では、相手に比較してより速いスピードと力、得意技を次々と繰り出しながら相手を威圧して倒すという考え方だったわけです。ところが殺人刀をやめて、餌を見せて相手にシメた!と思わせて、斬り込んでこさせるように仕向けて、斬りこんできたところを予測して勝つ。それを活人剣(かつにんけん)といって、斬相の発想の転換をしたわけです。それが大きいと思うんですね。
そのためには、斬り合いを臨んだ場にあって先入観を持たずにいて、全ての状況を冷静に把握するという「無形の位」がまず大事なのです。
ところが何か頭に計画を持って臨むと、公平に状況を判断することができずに失敗する。まず前提として、そういう考え方があって、活人剣がうまく働くということです。
編集部:先入観や計画、策略さえもいったん外してアイドリング状態になるのですね!「今、ここを味わう」とか、リラックスと集中が同居する状態とも言えるでしょうか。
どんな状況でも対応できるようにするというのは、ビジネスや人間関係にも活用できる心構えのように感じます。そこには、禅の教えも含まれているのでしょうか?
柳生先生:流祖は禅に造詣が深かったんですね。碧巌録(へきがんろく)という有名な禅のテキストの中から型の名前を取っていて、相当勉強されています。説明するときにも禅の頌(詩)を引用して、説明を書いていないのです。
徳川家康公に仕えた柳生宗矩(やぎゅうむねのり)の「兵法家伝書(へいほうかでんしょ)」では一部文字で説明していますけれども、石舟斎が残した巻物は基本的にタイトルが書いてあるだけですからね。
編集部:タイトルだけだと具体的な内容まではわからないですよね?
柳生先生:「あとは口伝」と書いてありまして、大事な所は稽古を通して教えます。例えば「無刀」の説明に、このようなものがあります。
空手(くうしゅ)に鋤頭(じょとう)を把(と)る
歩行して水牛に騎(の)る
人(ひと)橋上(きょうじょう)従(より)過(す)ぐ
橋(はし)流れて水流れず
「空手に鋤頭を把る」というのは、農夫がクワを使って畑を耕す様子が、まるでクワと手が一体化しているかのような自然の働きであるということ。そして夕方に農作業が終わったら水牛に乗って帰るのだけれど、まるで自分で歩くがごとくに水牛の背に揺られていくと。
そしてちょうど橋の上を通り過ぎるときにふと下を見ると、「橋が流れて水が流れず」と。で、それだけの四行詩が書かれていて、「これが無刀だ」と。そういう説明の仕方なんです。
編集部:……む、難しいですね。
柳生先生:やはり視点を変えて、相手の立場から考えるということですよね。
普通、我々が見たら水が流れて橋が流れていないんだけど、逆の立場になった時に反対になるということ。だから無刀の時には、「相手の立場になって使え」ということを言っているんですね。それと、1行目の身体と道具の一体化した自然の働きです。
重要なのは、「真実の人」として日々の自分を磨くこと
柳生先生:そうなるためには心を広げて、素直な心が必要だということにつながっていくわけです。教わったことを素直にやれると上達しますし、それはやっぱり才能なんです。
流祖の言葉で言うと、「その上の義は、真実の人によるべき候(そうろう)」。
つまり、最終的に、自分自身の心が邪(よこしま)無き心である、というのが大事だと言っています。
あるところまでは順番通り修行して教えてもいいが、そこから先は人を見て、相応しいかどうかを見極めて教えなさいと印可状(いんかじょう)に書いてあります。
だから「真実の人」というのは当流の中では大事な言葉になったんですね。ただその技をできればいいというのではないわけです。使う人の心が大事です。
編集部:真実の人というのは、正直や誠実であったりという意味でしょうか?
柳生先生:流祖は何も言っていないのです。「真実の人」しか書いてないから非常に抽象的ですよね。
それで石舟斎は「兵法に 五常の心なき者に 斬り合い極意 伝え許すな」としっかり兵法百歌に書いて、より具体的に基準を示しているわけです。
五常というのは仁義礼智信なんですね。
「思いやりの心」「人として正しい道を踏行(ふみおこな)う義」「礼儀」「正しいことを判断できる知恵」、そして「誠の心」。
この5つがあるかないかをよく見た上で、相手により極意を教えなさいと。
この五常以外に、石舟斎は勇気の「勇」が大事だと言っています。つまりいくら学んでいても、斬相の場で一歩踏み出す力、勇気がなければ使えませんよね。五常に勇気を足した6つの特性が非常に大事です。
昔から言われる三達徳(さんたっとく)にも通じますが、智仁勇(ちじんゆう)があって義が行える。
つまり正しいことが判断できる知恵と、思いやりの心と、踏み出す勇気があって義が成し遂げられるのです。
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◆真実の人とは、「五常(仁義礼智信)」と「勇気」が備わっていること。
仁:思いやりの心
義:人として正しい道を踏行う義(智仁勇の結果)
礼:礼儀(仁と信の結果)
智:正しいことを判断できる知恵
信:誠の心
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勇:現場で一歩踏み出す力、勇気
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それから、礼儀の礼というのは、仁《思いやりの心》と信《誠の心》があって礼になるということで、結局6つの徳は、義と礼に集約されるんですよ。
その義と礼こそまさに武士道の根幹なんだと、明治の頃に「武士道」を書いた新渡戸稲造が言っていますよね。これは、「日本においては武士道が、人としての基準となる物差しになっている」と西洋人に教えるために書かれているので、少なくとも江戸時代までの日本人は、そのような思想を共有して生活していたとわかります。
時代を遡ると、ここ名古屋には、三種の神器のひとつ「草薙(くさなぎ)の剣(つるぎ)」を祀っている熱田神宮がありますね。1900年前に、倭姫命(やまとひめのみこと)が日本武尊(やまとたけるのみこと)に草薙の剣を渡すときに「慎みておこたるなかれ(自分に謙虚でいて、いつの日にも日々切磋琢磨しなさい)」と言ったのです。
そういう考えが柳生家憲(かけん)の中にもあって、それが「昨日の我に今日は勝つべし(毎日、切磋琢磨して昨日の自分自身に対して向上できるように努力しなさい)」ということ。兵法百歌が書かれたのは、だいたい450年前になりますが、表現が違っても同じような考え方を核とする一貫性のある文化があるわけです。
それが消えつつある今、広く伝えて大事にしていきたいと強く思っています。
編集部:「スポーツは相手との戦い、武道は自分との闘い」といわれる理由がとてもよくわかりました。このような心構えを知っているのと知らないのでは、全然違ってきますね。
20代の頃に海外で暮らした時、日本文化についてあまりに知らないことを痛感したんです。柳生先生は海外赴任もご経験されたと伺っているので、そういう教えが役に立ったということもおありなのでしょうね。
柳生先生:ええ。割と海外に行く仕事が多かったので、腰に刀を差してはいないけど、「腰間(ようかん)の一刀(いっとう)」をいつも感じ意識して仕事をしていましたね(笑)。
固執せず、柔軟で自然界の法則を身につける
編集部:実際にカラダを使うときの考え方はいかがですか?
柳生先生:我々独自の基本的な考え方で、「性自然(せいしぜん)転(まろばし)の道」というのが特徴です。
「性自然」というのは、自然の働きに逆らわず、心も身の働きとしても自然に則って剣を使うということです。
「転(まろばし)の道」とは、心身ともに先入観を持たない「無形の位」で、千変万化する相手を明らかに観て、自分の考えに固執せず、その状況に応じて柔軟に最適な手段で対応するということ。
刀を使う時は基本的に、上から下に落ちる力、「峰谷(みねたに)の力」と言っていますが、重力を利用します。それにプラスして、足を踏み込んで合わせて使います。
そして一番の極意は「合撃(がっし)」で、向こうがまっすぐ斬ってくるのに対して、こちらもまっすぐでやや遅れて上から打ち乗って勝つという技です。
自分の人中路(中心線)を相手の人中路に合わせて自分の人中路を真っ直ぐ斬り下ろします。まっすぐ切り通すときには、邪(よこしま)なき心でやるということが、大事です。
邪な心、こう打ちたい、防ぎたい、何々したいという気持ちになると、よくないですね。
合撃を稽古するとき、木刀や刃引きの刀を使用すると危険で打ち合うことができないことから、流祖は「袋竹刀(ふくろしない)」という道具を考えたわけです。
竹を割って皮の袋をかぶせることで、ケガの心配なく稽古ができる工夫をして、それを450年間使っています。
編集部:自然界の法則をカラダで覚える訓練を重ねているのに、邪念が入るとブレてしまう……。頭でゴチャゴチャ考えたことが通じないというのは、なんとなくわかります。
でも、相手よりも少しだけ遅く刀を振り下ろすというのは、素人では考えられない技ですね。
柳生先生:ほとんど同時なんですが、やや遅くて上から勝つ。早いと上に乗られてしまいます。相手と自分の関係で、相手を働かせて自分の働きで勝つということですから、極めて微妙ですよね。
人が違えば拍子も違いますし、同じ相手でも毎回同じ拍子ではないわけです。それをすべて織り込んで行うのが、人間的ですよね。
編集部:やはり経験による所が大きいのでしょうか?
柳生先生:経験です。ですから、自分に疑いや迷いがあったら絶対ダメです。
そのためには、「三磨(さんま)の位(くらい)」という教えがあって、習い、稽古、工夫のことを指します。
先生が見せたことを何百回、何千回稽古して、それでも先生と自分の体の形が違うから、やはり工夫をして初めて自分のものにしていくことができる。それが学習論のプロセスなんですね。
それと同じように、普通の日常生活を生きていく中で、生活と仕事と道場を三位一体として自分自身を向上させる。もう一つの「三磨の位」があると私は教えています。
日頃の自分の問題意識と工夫を各自が追求することだと思いますが、仕事と道場と日々生きていく生き様の3つは相まって成長していくひとつのものです。それぞれを通して自己を向上させるきっかけにしていくと考えているんですけどね。
逆に言うと、仕事の中で自分が成長していく結果を、道場でも確認できるというのはありがたいですよね。
今の学校教育では、頭で理解して、それで終わったことになりますが、それとは違う把握の仕方をやっているのです。頭で考えて納得できても、稽古では実際にカラダで剣を使ってやらなくてはいけません。
現代人に一番欠けている、実際に身体を通して表現することを大切にしています。
編集部:頭では追いつかないことがいっぱいあります。
さらに現代はゲームやスマホなどが発達して、バーチャルで済ませてしまうことも多いので、身体感覚そのものも希薄になっているかもしれません。
柳生先生:客観視することが必須である科学とは違いますよね。自分を外に出して観ることを客観的と言いますけれど、実際にカラダを動かすときは、「主体的に」「自分が」やることです。
たとえば動くというときに、「腹背(ハセ)」の中心から動いている、ハセで動くという意識でやるんですね。動きの中心がハセだと。おへそ周りの前だけに注意を向けるのではなく、腹と背中の中心点から身体を操作するのがいい。その感覚は、カラダを動かす稽古の中で自分で体感してつかんでいくしかないでしょう?
これまでに受け継がれてきた教えは示していますが、どこまで考えて取り組むかは、求め方、受け取り方に個人差がありますから、それぞれに任せていますけれどね。
万物と一体化する「自他非分離」のあり方
編集部:弊社の経営理念は「自然に学び、自然に帰る」です。これからのデジタル時代に自然観がますます重要になってくるように思っています。
柳生新陰流における「性自然」についてもう少し詳しく伺いたいのですが、それは自然体に近い感じでしょうか?
最近の人たちの自然体のイメージとして、「自分のポリシーがある」「自分の意見が言える人」みたいな印象だというのを耳にしまして違和感があるのですが、そういう自然体とは違いますね。
柳生先生:自然体とは本来、「自然の働きの中にあって逆らわない」「自然の中にある」ということですかね。その意味では自然体も「性自然」の中に含まれるんですけど、もうちょっと大きな意味で、「本質として自然の中にある」というような感じです。
だから、意識的に自然に逆らうような動きをしないということですよね。私利私欲とか何かがあると、やっぱり手が動くわけですよね。そういうものではないということ。
編集部:やはり「自分のポリシーがある」「自分の意見が言える人」とは全然違うところですね。
日本人は本来、あまり自己主張をしない民族性といいますか、逆にそれが外国では「あなたの意見は何なの!?」「優柔不断ね!」と不審がられるとよく聞きます。
ところが実はそれが日本人に備わっている大事な礼節で、あえて「自分が自分が」と主張せず、全体となじんで一体化してしまう状態とも言えるでしょうか。
それが「天とひとつ」になる鍵のようで、伊勢神宮の吉川竜実先生が、「没自然=自然と一体となって完全に没入している状態」とおっしゃられていて、「性自然」についても同じように感じました。
柳生先生:その「没自然」という雰囲気を、日本人は持っていますよね。自然の中に包まれて自然と一つになって安らぎを感じるというのはそもそもね。「性自然」も、そういうものだと思います。
自我の話で言うと、「自他分離と自他非分離」という考え方があって、西洋人というのは自他分離、自分と他人に壁を作って分けていて、それが自我ですよね。
ところが東洋では、剣道もそうなんですが、自他非分離、自分と周りの間に垣根がない状態で、一つになって(たとえば剣を)使うと。だからその中に敵も一緒にいるという状態が理想だとしているんですね。
編集部:自分の中に敵も含まれているのなら、そこに敵はいないということなのですか?
柳生先生:敵はいないと。万物一体、という感じですよね。
それなら、なぜ戦うのかという話も出てくるんだけれども、戦国時代は隣国から否応なしに攻めてくるから、自分たちを侵害してくる者を排除しなくてはいけない。家族を守るとか国を守るとか、各地域それぞれが自分たちを守らなければいけなかったので、そのための兵、武道だったと。それが平和な江戸時代に、「己自身の心の修行のために武を使う」となったのです。
ところが流祖は戦国時代ですでに「真実の人」ということを宣言したわけですからね。
編集部:戦いのまっただ中で「真実の人」というあり方を提唱しているのがすごいですね。そして現代だからこそさらに「万物一体」という精神性を高めていけるんじゃないかと思いました。
その「万物一体」という自他非分離について、禅の覚者で弊社もお世話になっている立花大敬(たちばなだいけい)先生は「ひとついのち」とおっしゃっています。表現は違っても、真理はひとつなのですね。
「生きているだけでありがたい」をスタートラインにする
編集部:剣禅一如(けんぜんいちにょ)と言ったのは、宮本武蔵ですか?やはり禅に行くんでしょうか?
柳生先生:剣禅一如というのは、剣道をやっている人がよく言いますよね。
剣の修行の中で「心の治め方」というのが大事で、それは禅が専門家だから、多くの剣術家が禅の門を叩いてどうやって平常心を養えばいいのかと聞くわけですよ。
編集部:先生はどうなさっているんですか?呼吸を調えるとか?
柳生先生:私は禅をする時間もないし、特別に何かを決めてやっていることはないんです。実際の諸問題の中で向上するように努めていると、自分ではそういう方向で思っています。何かを順番にやって初めて整うというのでは、役に立ちません。
一番大事なことは、今!その瞬間に動けないとダメで、いざという時に平常心を発揮できるかどうかだし、その瞬間に何を決めるかということだけなので。
じつは甲斐駒ヶ岳で一度、登山道から転げ落ちて死にそうになった経験がありまして、それが大きいですよね。その時に走馬燈の経験をして、死ぬか生きるかどっちに行くかというのを選べるみたいね。
「今は死ねない」と思った瞬間に、木にガーンと前歯が当たって止まったのです。7本折りましたよ(笑)。その時に、「生きていることだけで一番ありがたい素晴らしいことなんだ」と心底から思いました。
それは得がたい経験で、それ以降は、その思いからスタートできるということがありがたいのです。
編集部:先生……、その瞬間は、平常心とか無とか、どんな感じなんですか?
柳生先生:平常心とかなんとかじゃないですよ(笑)。もう転がってますもんね。転がってて、そして走馬燈ですよ。一瞬の間にいろんなことを考えることができる。だからその時は「死んじゃいけない」と思って、気持ちを決めた時に止まったんです。その時にスーッと気持ちよくなれば死んでたんですよね。
編集部:よく、亡くなるようなときは気持ちいいって言いますものね。
柳生先生:いろいろと因縁があるんでしょうね。きっとね。
過去のご縁も「今ここ」につながって未来をつくる!
編集部:柳生新陰流兵法を学んでいる方は、今現在でどれくらいいらっしゃるのですか?
柳生先生:必ず私に直接教わるという形式を取っていますので、全国で会員が120名くらいです。日本だと東京、名古屋、大阪、安城、群馬。海外では米国と香港に会員がいます。コロナ禍の3年間を除いて、年に一回行う全体合宿には海外からも集まって、だいたい東京、関西、名古屋の持ち回りで、ゆかりの場所でやっていましてね。今年は初めて吉野でやりました。柳生とは南北朝時代からのゆかり(※)があって選んだのです。
※吉野は、京都を逃れた後醍醐天皇が「南朝」を開いた地。柳生家の祖先が後醍醐天皇を支える南朝側についたこと。
編集部:奈良に柳生という土地がありますが、そことも何かご関係が?
柳生先生:もとはそこが本拠地だったのです。流祖の上泉伊勢守を師と仰いで、新陰流の印可を授けられた柳生石舟斎は奈良におりましたから。石舟斎の孫の兵庫助(ひょうごのすけ)が尾張に来て、尾張徳川家の兵法師範となって、その頃に奈良を出てしまいましたので、400年余りずっと名古屋です。私は兵庫助の子孫にあたります。
そして奈良といえば、興福寺の子院、宝蔵院(ほうぞういん)の院主・胤栄(いんえい)は石舟斎と共に新陰流を学んだ兄弟弟子でした。彼は宝蔵院流槍術(そうじゅつ)を創始しました。そのご縁で宝蔵院流槍術さんと親しくしているのですが、同じ新陰流の考え方でやっているのがとてもよくわかります。
流祖に石舟斎を紹介したのが伊勢国司の北畠具教卿(きたばたけとものりきょう)だったので、今も津市の北畠神社に、そして春日大社に毎年1回、一緒に奉納演武を行っているんですよ。
編集部:弊社は京都の南端なので、春日大社も興福寺の宝蔵院跡も目と鼻の先にあります。柳生の里も、弊社から伊勢神宮へ向かう途中にあります。先生はよく神社で奉納演武をされるのですか?
柳生先生:毎年、熱田神宮でも奉納していて、昨年から伊勢神宮でも毎年させていただくことになりました。また、ここ十年ほどご縁があって足助神社(愛知県豊田市)へも奉納を行っています。
吉野で合宿をしたというのも、柳生の里にほど近い笠置山に後醍醐天皇をお守りするため柳生の先祖もはせ参じました。石舟斎よりも200年ほど前の人で、柳生家の歴史に残っています。そのときの侍大将だった足助次郎重範(あしすけじろうしげのり)公を祀っているのが、足助神社(愛知県豊田市)です。
その足助神社の先に足助氏の子孫である成瀬氏が由来の成瀬神社というものがあります。のちに兵庫助が成瀬隼人正(はやとのしょう)と坐禅をした縁で、兵庫助が徳川将軍家の兵法師範になったのです。そういうファミリーヒストリーをお互いに知っていたので、「おお、お前」みたいなことで胸襟を開いて、親しくなったんだと思います。
2023年11月、伊勢神宮(外宮)勾玉池奉納舞台にて
編集部:南北朝時代のご縁ですか!?柳生先生のお話を伺っていると、何百年も前のことが今のご活動とオーバーラップするようにすごく身近に存在していますよね。「過去も未来も、今この瞬間に畳み込まれている」という神道の時空観そのものを生きておられるように感じます。
その場に行かれたら、ご縁が引き合って何かパッとわかるわけなんですか?
柳生先生:少しずつ人を通してですね。そして、現地に行くことによってわかっていくことも多いですよ。
北畠神社では、旧家臣の人が自分の家の歴史を調べていて興味を持たれたとのことで、柳生新陰流を稽古したいと見学に来て入会されたりね。そういうご縁でわかっていくんです。
編集部:先生、じつは私の遠い先祖も南朝側の武将だったので、このように柳生新陰流の詳しいお話をお聞きできるのもご先祖様のご縁なのかもしれないと思えてきて、とっても不思議です。
ファミリーヒストリーをたどって実際に行動すると、ご先祖様が導いてくれて、いろんなことを教えてくれるんじゃないかとお話をうかがっていて感じました。
日本人は神々や先祖がすごく身近で、その気配を感じて教えを請うとか、頼りにするとか、目に見えない働きを大切にする文化があるということも、先生のご活動を伺うことで改めて実感しました。
これからの時代は、一人ひとりが自ら浄化して神性を体現して生きることが大事だとよく言われます。冒頭でお話したSITHホ・オポノポノでもそのように伝えていますが、柳生新陰流もまさにそのような叡智を実践されているんですね。
柳生先生:「無刀にて万(よろず)、分別すべし」、無刀の立場(無分別の世界)からより深く考えることが常に求められるという、実践の兵法が流祖以来の教えで、やっぱりそれを日常生活と仕事、稽古を通じて昨日よりは今日はより良く生きようと心がけるということですかね。
編集部:それが心技体を通じて「天地とひとつ」を実現する秘訣なのですね。大変勉強になり、惹き込まれました!ぜひまた奉納演武を観に行かせてください。本日は大変貴重な機会を頂戴し、ありがとうございました。
柳生先生と弊社代表・近藤太郎
インタビュー:近藤太郎・高木みのり イラスト:月野ことり 文責:高木みのり(202408)
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2024.02.05
三種の神器「剣(つるぎ)」。時空を祓い「天地とひとつ」を生きる
写真 左:柳生耕一先生/右:吉川竜実先生 ~伊勢直伝神桜流(しんおうりゅう)・柳生制剛流抜刀(やぎゅうせいごうりゅうばっとう) 神宮...