自然を無視して物質的な豊かさを求める社会のあり方から、すべてのいのちが輝く社会に移行すべく尽力し実践されている方々や、そのための先駆的な商品の開発者をご紹介している「未来創造コミュニティ」。
環境と共生する数々のテクノロジーとネイチャーサイエンスを提唱し、沖永良部(おきのえらぶ)島に移住して自ら実践されている地球村研究室代表・東北大学名誉教授の石田秀輝(いしだひでき)先生と、伊勢神宮の吉川竜実(よしかわたつみ)先生にお話を伺いました。
地球村研究室代表・東北大学名誉教授 石田秀輝(いしだひでき)先生
INAX(現LIXIL)取締役CTO、東北大学大学院研究科学研究科教授を経て現職。ものつくりとライフスタイルのパラダイムシフトに向けて国内外で多くの発信を続けている。自然のすごさを賢く活かす『ネイチャー・テクノロジー』を提唱し、2014年から『心豊かな暮らし方』の上位概念である『間抜けの研究』を奄美群島沖永良部島へ移住、開始。環境戦略・政策を横断的に実践できる社会人の育成や、子供たちの環境教育にも積極的に取り組んでいる。星槎大学沖永良部島サテライトカレッジ分校長、酔庵塾塾長、ネイチャー・テクノロジー研究会代表、ものつくり生命文明機構副理事長、アースウォッチ・ジャパン副理事長、アメリカセラミクス学会フェローほか。近著に「2030年の未来マーケティング – 暮らし・仕事・学びが変わる! 『個のデザイン』の時代へ -」 (ワニプラス 2022)「危機の時代こそ 心豊かに暮らしたい」(ベストセラーズ 2021)「『バックキャスト思考』で行こう! – 持続可能なビジネスと暮らしを創る技術 -」 (ワニブックス2020)「光り輝く未来が沖永良部島にあった!」(ワニブックス2015)ほか多数。
石田秀輝先生
吉川竜実先生
伊勢神宮参事・博士(文学) 吉川竜実先生
皇學館大学大学院博士前期課程修了後、平成元年伊勢神宮に奉職。平成2年即位礼及び大嘗祭後の天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、平成5年第六十一回式年遷宮、平成25年第六十二回式年遷宮、平成31年御退位につき天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、令和元年即位礼及び大嘗祭後の天皇(今上)陛下神宮御親謁の儀に奉仕。神宮禰宜を経て現在神宮参事。平成29年神道文化賞受賞。著書に「神道ことはじめ―調和と秩序のコスモロジー」(バンクシアブックス2020)、『いちばん大事な生き方は、伊勢神宮が教えてくれる』(サンマーク出版2020)「神道の源流―縄文からのメッセージ」(バンクシアブックス2022)がある。
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「補って助け合う」真の自立が、経済と地球環境を救うカギに!
―地球の現状を科学的に踏まえ、自然と共生するコミュニティ社会を創るべく環境省や企業に提言され、自らも実践される石田先生が、「間に合わない」とおっしゃるのが気になります。今、私たちはどんな状況にいるのでしょう?
石田秀輝(いしだひでき)先生(以下、石田先生):崖っぷちですね。1991年にバブルが崩壊してから、経済成長率が1%を切っていて、これは内戦国と同程度の状況です。何をやっても経済が伸びない一方で、地球環境も大変な状態です。
例えば斎藤幸平(さいとうこうへい)さんや宇沢弘文(うざわひろふみ)さんといった経済学者のベストセラー本の入口は「新自由主義という経済システムの中では、環境と経済が両立しない」というのが前提です。
結論は異なるのですが入り口は同じ、要するに今の経済システムでは、環境と経済が表裏の関係にあって、両立は出来ないというのが最大の問題。
地球環境問題で最大の制約は生物多様性で、この27年間で昆虫の最大75%を失いました。結果として、植物の受粉に大きな影響を与えています。
また、化学肥料に含まれる窒素による土壌汚染も普遍化していて、中国とインドを合わせた面積の土地ですでに穀物栽培ができない状態です。これらは共に食糧供給に大きな制約を与えます。
気候変動についても、温暖化による海水温度の異常上昇が続いていて、シミュレーションでは2050年、早ければ2030年に世界の気候をつくっている海洋大循環が停止します。すると気候崩壊が起きて、もうどうしようもない、元に戻すことが出来なくなります。
そして私たちは北半球のどこに住んでいても、週に5gの表面を残留性汚染物質で汚染された「マイクロプラスチック」を体内に取り入れています。つまり経済システムは限界状態で、環境から見ても2030年が本当にギリギリの明確なボーダーになりつつあるという状況です。
その中で、未来の子どもたちに「ワクワクドキドキ笑顔あふれる未来」というバトンを渡すという、その責任を果たさなくてはいけません。でも科学者が額にシワを寄せて、ネガティブなことばかり言ってもしょうがないですから、問題の本質を徹底的に考え、アクションを起こすときは笑顔、笑顔という努力をしています。
というのは、人間は1日に約2万5千回の判断をしていて、その95%は無意識で、意識できるのは5%位です。ポジティブな概念を訓練して無意識に入れ込むと、人生が変わってくるようなことが起こります。その2万5千回の判断がポジティブになるようにしているわけです。
ここ沖永良部(おきのえらぶ)島のお爺やお婆たちのようにね。みんなすごく素敵でガーッハッハと笑ってるわけ……。
吉川竜実(よしかわたつみ)先生(以下、吉川先生):笑いというのは大切で、祓いに通じて空間を浄化します。だから八百万の神々が、天照大御神が岩戸から出てくる時にワッハッハッハと笑う。笑うと変な邪気も祓われるということに通じますので、本質はここにありますから。
―吉川先生はご著書『神道ことはじめ』で石田先生のコミュニティ論をご紹介されています。どのような思いがおありだったのでしょう?
吉川先生:我々神道者は、神道や神社の伝統だけを守っていたらいいのか?という大切な問いがあります。神社の大小や、意識するかしないかに関わらず、神主はこれまで人々の暮らしの中で自然や神々との仲介の役割を果たしながら生き続けてきた。だからこそ伝統を守るだけでは本来の神道ではなくて、「生き続けていないと」過去の遺物となってしまうのです。
「現代のテクノロジーと伝統的なものをうまく融合させながら、豊かな暮らしと豊かな精神性を実現するには、実践的にどうすればいいのか?」と自問していた矢先に、石田先生を中心とした賢材研究会の方々に出会って、「これだ!」と思ったのです。天照大御神様に仕えている者として、その出会いは必要・必然・ベストのものだったと思います。
石田先生:やはり「生きる」ことの本質は、「生き続ける」という持続可能な社会にあって、それを実現できているのは、自然界だけ。その自然界の生物は、「自立閉鎖系(オートポイエーシス)」という、「自立=設計図がない」「閉鎖系=非勘知(あらかじめ相手のことを色々予測しない)」生き方をしています。
それを社会に当てはめると、小さな集団がいっぱいあって、それらが最適解を探して設計図なく動いている状態です。これをよく考えると、中心に例えば神社があって、その周りに上限で150世帯程度の人がいて、そういう集団がいっぱいある。だから神社も全国に8万社あるんだ!と勝手に思っているんですけどね。
そういう「中心がいっぱいある(多中心的な)」概念の暮らし方をしなければいけない。これを言い換えると、まさに「コミュニティ」ですよね。
―つまり神社の祭りを中心としたコミュニティの暮らし方こそが、自然の循環に則していたということですね?
石田先生:沖永良部はまさにそうで、ここで暮らしてわかったのですが、コミュニティの中で「お互いが助け合う」というのは、他立じゃなくて自立です。「何かなくなった」「何かが足らない」「ちょっと手伝って」という事態は予測されていませんから、そういう中でお互いが切磋琢磨する。これが教育にもなり、ネットワークを強固にします。
「一年かけて祭りを作る」というのも、ネットワークのシステムですよね。
吉川先生:今の人は「人に迷惑をかけないこと」が自立だと思っていますが、自分でできないことは、やはり「ごめんなさい」「頼むわ」とお願いした方が、相手も喜んで、すごい能力を発揮してくれるものです。そこは欧米の個人主義とは違うように思います。
自立して参加するから、それだけで奉仕して楽しい。何かを与えられるギブアンドテイクは求めていないんですよね。神さまで例えると、「産土さん」という土地神さんを大切にしてきた伝統のような、「意識しなくても自然と繋がっている」という感覚です。
石田先生:その「繋がりたい」という気持ちをみんなが潜在的に持っていて、最近の我々の研究成果の一部ですが、全国的にも、Z世代の人たちがどういうわけか「自然」と「コミュニティ」にものすごく親和的です。何か「将来に対する危機感」があって、生きる本質みたいなところに思いを寄せているような気がしてならないんです。
それと制約の中で、「本当に豊かに暮らすための、価値のあるキーワード」を探るために90歳以上を対象に行ったヒアリング調査で明快な答えとして出てきた要素が44個あるのですが、その根底には、「自然に生かされ、自然を活かし、自然を往(い)なす」という観念があります。これは当に、「自然と和合する」「敗者を作らない」「足るを知る」「自然を見立てる」といった、日本人の生き方・文化の極み、「意気(粋)」の概念だったのです。
では、そもそもこの意気の概念の本質がどこにあるかというと、極端かもしれませんが、縄文時代ではないかと思っています。そこから繰り返し醸成されて、究極にまではいかないまでも一つの形に成りかかったものの、それ以降の戦争やいろんな中でもみほぐされて、江戸の安定した263年の間に成長していった……というのは荒唐無稽ですかね?
吉川先生:それこそ核心で、文化や芸術も含めて象徴的な形で最も深化発展されたのが江戸の「意気(粋)」の文化だというのも同感です。そこに日本人は一つのアイデンティティを生み出したと思っています。基層の文化的DNAをスイッチオンにして活性化できるかどうかは、意識するか意識しないかで変わってくる。基層を認識することで、本当の自立を果たしていくわけです。
江戸後期の浮世絵師・北斎と岡本太郎をテーマに「縄文意識覚醒アート」という連載をさせていただいているのも、日本人の基底にある縄文的意識がアートに昇華されていることを意識できればと思ってのことです。
また、ちょうど今日は、北斎作品の浪の最終進化形である「隅田川怒涛の図(男浪)」がデザインされたアロハシャツを着ていますが、今夏はこれでハワイに行き、その伝統儀式を発展させた問題解決法を実践する方々と交流してきました。このアロハシャツも、もとは沖縄移民の人たちが持参した着物を有効活用したものですが、今度は京都の西陣が北斎デザインで取り上げている。このような「意気」をもう一度、日本人が思い起こすべきだなと思っています。
江戸後期の浮世絵師・北斎と岡本太郎をテーマに「縄文意識覚醒アート」という連載をさせていただいているのも、日本人の基底にある縄文的意識がアートに昇華されていること、そのような「意気」をもう一度、日本人が思い起こせないかと思ってのことなのです。
石田先生:縄文から続いていますよね。
吉川先生:続いています。岡本太郎もそうで、葛飾北斎の生まれ変わりのような人だとも思っています。
北斎作品の浪の最終進化形である「隅田川怒涛の図(男浪)」がデザインされたアロハシャツをまとった吉川先生と、島スタイルの石田先生(石田先生のご自宅・酔庵の庭で採れた島バナナとともに)。「沖縄移民の人たちが持参した着物を有効活用してハワイで生まれたアロハシャツを、京都の西陣が北斎デザインで取り上げている。そんな「意気(粋)」を思い起こせたらいいですよね」(吉川先生)
二元論的な暮らし方から、一元的な生き方へ!
石田先生:アインシュタインとフロイトが「人はなぜ戦争をするのか」について交わした往復書簡で、二人は「生の人間は、戦争を逃れられない」と言っていて、特にフロイトは「人間の欲からして、戦争をやめるなんてできない。文化度が上がれば別だけどね」って。
それに対して考古学者の佐原真(さはらまこと)さんが、「縄文って一万年以上戦いをしなかったでしょ。だから戦争というのは後天的なんだ」と書いているのがすごい視点で、深掘りすべきだと思っています。
やはりデカルト的な機械論的自然観「自然は自分たちがコントロールするものだ。神から委託を受けた人間は何をしてもいいんだ」というのも、二元論的な思考に起因していると思うのです。「この欧米の思考回路は、畑作遊牧民なんだ」と梅原猛(うめはらたけし)さんが端的に言っています。
要するに、目の前にあるものをどんどん壊して、どんどん羊に食わして、通った後は草も生えないような砂漠にしてしまった。古くはメソポタミア文明の、紀元前3500年の時代から破壊し続けているわけですからね。
日本の場合は稲作漁労民と梅原先生はおっしゃっていますが、稲作農家は水をみんなにきちっと分配して、「これは俺の水!」「全部俺が取る!」って言わないのです。戦うにしてもお互いの中で「やぁやぁ我こそは」みたいな感じでしょう?
吉川先生:西洋の「皆殺し」主義とは異なる、日本的またはポリネシアン的な戦いの仕方ですよね。石合戦のような形で代表者が出てきて、残念ながら多少の犠牲が出たとしても、2つの部族が統一されて豊かに暮らしていく。「相手も尊いし、こっちも尊いから一緒にやっていきましょう」という非支配/支配のない形は、岡本太郎が50年前に既に述べていますが、日本も含めた環太平洋の文化圏や、稲作をしている人たちの意識がそうなのでしょう。
石田先生:だからこそ水を均等に分ける必要のある水稲栽培ができたんだと。そういう精神性がないと均等に分けないで奪い取るわけだから。稲作ができるところは、そういう精神性を本質的に持っている。
吉川先生:最終的に、彼ら二元論者の根源はどこにあるのかな?というと、やはり「滅ぼされるんじゃないかという恐れ」で、いつもそれに悩まされているのだと思います。「どうして彼らはこれだけ朝からほがらかに挨拶をするのかな?」とハワイで問うた時、にぎやかで明るい欧米人という解釈と、声をかけることで「私は敵じゃないですよ、安心してください」という裏返しのメッセージがやはりあるわけです。
石田先生:あるよね。
吉川先生:何も日本人が暗いのではなくて、「別に何もしなくても襲ってこないよ」ということでもあると思うのです。
日本文化のよき理解者ともいうべきラフカディオハーンが、日露戦争後の熊本大学で面白いことを言っています。
「最も経済的で最も簡素な生活習慣を持つ民族が生き残る。費用の多くかかる民族は消滅する。自然と最もよく共生でき、必要最小限の生活で満足できる民族だけが生き残る」と。
日露戦争で拡張してしまった日本人に対する警告でもありましたが、予言的で頑畜のある言葉だと思っています。
石田先生:彼は二元論の世界から日本に来て、「違い」を感じ取ったのかもしれないよね。この「アニミズム(※)のような」一元論の社会と、二元論というのは、本当に大事な問題提起で、哲学者の岩瀬康生(いわせやすお)さんが、「身体的意識がどこから来るのか」として、表層的なものと基底的なものがあると指摘しています。
※アニミズム:万物に霊魂が宿るとする信仰
人間の脳は「二足歩行を始めた700万年前からある古い脳」と「道具を使い始めた頃からの新しい脳(大脳新皮質)」の二層構造なんですね。欧米的な思考回路は新しい方でコントロールできますが、日本的な思考回路の古い脳は自律神経をつかさどっているからコントロールできない。そのコントロールできないところを意識するのが日本的で、例えば瞑想をしたり、邪念を祓う意識を持ったり、神様を祈り続けたり、茶道や武道など「道」がつくものはみんなそうですよね。
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